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先日やっていた鳥人間コンテストも正直そんな気持ちになる番組です。出演者が悲壮感漂わせる番組だったかなと昔から見てる鳥人間コンテストを振り返ってみて感じました。元々はびっくり日本新記録というバラエティ番組の1コーナーだったものがここまで拡大した経緯があり、そんな軽い気持ちで見られた番組でしたが、年々出場者側も気合いを入れてきて、琵琶湖の対岸まで行ってしまうようなレベルにまでなってきました。1時間以上漕いでるわけですから、当然操縦席の人たちの苦しみは出てきますし、それを映せば感動もします。とはいえ、なぜに悲壮感を持って見ないといかんのかとふと思ってしまいます。結論はそんなもん見なきゃいいじゃんですが、出先で食事をとる時、どこか親戚の家に行った時などについてると見ないわけにはいきません。
鳥人間コンテストでナレーションベースになっていたところはむしろ楽しそうに参加していた印象です。操縦している人を船の上で見守る彼女、そして船の上で熱く抱き合う姿は青春そのものです。その直後に出てきた、自作の萌えキャラのイラストを機体に描いて出てきた大学など、そっちの方が人間味があったように思います。飛ばしてナンボなのは間違いないかもしれないけど、そこばかりに着目した結果、なんとも人工甘味料満載な食べ物が出てきてしまったような気がします。ただ、そういうものを探して好んで食べるのもまた自分なので、こういう番組がないと自分が困ります。本当にタチの悪い番組は毒にも薬にもならない番組です。ツイート
明日、ママがいないというドラマが話題になっていますが、第1話放送日、新聞記者が放送日前に見たこのドラマの感想は割合いい印象に書かれていました。たぶん、当事者でなければこれはいかんだろと思わなかったかもしれません。ドラマの問題作は今までにも数多くありましたが、センセーショナルに描くことによって人々を引きつけ、1クール通して物語を見た時に、あくまでそれは前フリで、オチは非常に良かったみたいな感じにたいていは収まります。たぶん、このドラマもそんな感じに収まるんでしょう。
昔、聖者の行進というドラマがありましたが、今それを放送したらどえらい苦情が殺到しそうなほど、当事者が怒りそうなドラマだったように思います。当時小学生でしたが、なぜそれを見ていられたかわからないくらい、いい印象はなく、最後の最後までハッピーエンドの方向には行かないイメージが強く頭に残っています。このレベルの過激さは昔からたくさんあったように思います。では、なぜここまでの騒ぎになったか。
個人的にはネットニュースの存在が大きいのかなと思います。例えば、Twitterでとある芸人さんがこんなことをやらかしましたという記事。それに事件性があれば、ネットニュースに取り上げられるまでもなく、スポーツ紙などが取り上げますが、ほとんどのケースでは事件性なんて微塵もありません。本来はニュースバリューに乏しい出来事が、ネットニュースに拾われることで、あたかも事件が起きたように書かれる。誰とは言いませんが、今回の件で抗議をした人たちへ、とある芸人がラジオ番組で苦言を呈するというネットニュースの記事がありました。それだって、ラジオを聞いてない人は本来知る由もないことなのに、取り上げられることでそれを知る。表現はかなり悪いですが、正直ラジオにおける芸人の発言なんてどうでもいいものばかりです。いちいちテレビで取り上げられるのなら、誰もそんなこと言いません。芸人さん側にしても、取り上げてほしいとは思う人は少ないでしょう。
当事者からしたら腹立たしいに違いないドラマ、バラエティは限りなくあるでしょう。今回の件はそりゃ当事者の人が怒っても無理はない。嫌なら見なけりゃいいじゃんで済まないし、本人が見なくても周りは見てますから、それによる影響がある。作り手からしたらそんなこといちいち考えていられないし、役者さんも与えられた仕事を忠実にこなしてるだけ。いろんな意味で配慮に欠けたということでしょう。この件でテレビの未来どうこう語るほどの問題ではないように思います。今のテレビを取り巻く現状が如実に出たエピソードの1つであり、今のネット環境が作り出した出来事。当事者の方は納得いくまで抗議を重ねるべきだと思いますが、それ以外の人まで行動すべき案件かどうか。ついそんなこと考えてしまいました。
視聴率の及第点がどこになるかは局によって違いますが、最低限2ケタ、とれるものならいくらでもというのが本音。なので、いかに視聴率をとるか。ここ20年におけるテレビマンの創意工夫は功罪置いといて立派なものだと思います。アメリカなんていくら何シーズンも続いてるテレビドラマであろうが数字が低くなれば即打ち切り。ヨーロッパではリアリティー番組が幅を利かせ、生々しいやり取りをそのままテレビで見せる。
そう思うと、日本という国は寛容です。いくら数字を取れと言ったって、えげつないことをすればそこまでしなくてもと視聴者が注意してくれて、かといって数字がなかなかとれなくてもとりあえず1クールはやりましょうとなかなか打ち切りにはさせない。もちろん数字以外の理由で打ち切りになることはあるものの、あまりにも低視聴率で4話で打ち切りということはほぼありません。
それでもゴールデンで3%というのは低過ぎます。誰だってそんな数字をとりたくてドラマを作っているとは思えませんが、ここまで低い数字を出すというのはすごいことです。いろんな環境が揃わなければここまでの数字は出せません。とりあえず既視感の強いドラマでは数字が取れない。ホームコメディのパターンはすでに出尽くしてる。あまちゃんにしても半沢直樹にしても、今までのパターンにはなかったドラマです。恋愛ものならどうせこうなるんだろ?という筋書きを安易に立てられがちですが、それがないやつは面白い。仮に数字が低くても評価は高い。視聴者に評価されるか業界に評価されるかの違いです。
では、夫のカノジョはどうか。魂が入れ替わるという設定はしばしばドラマの題材にされます。どうせこうなるんだろという筋書きが非常に立てやすい。色んな人と魂が入れ替わりまくるみたいなことがあればめちゃくちゃで面白そうですがまぁないわけで。ドタバタ劇のパターンもある程度出ているので別に見なくたっていい。そこに裏番組が強いとなれば、そちらに流れます。自分のようにみんなが見ているのを見ない天の邪鬼はいますが、そもそも天の邪鬼は好き好んでドラマを見ません。
業界の評価にしても、設定が使い古され、そして歴史的な視聴率の低さ、これでは高くなるわけがない。視聴率がすべてではないと主演女優は言うものの、そうじゃない部分でも評価はされない。早い話、主演であることを後悔するしかない。見てもいないのに評価をするなと言う人はいそうですが、マニア受けするならそういう声がネットにあるはず。それも見かけない。これを製作した人が何を思いながら局にプランを提示したのか、とても気になります。
いまどき、主演が誰だからという理由で視聴率が左右されることはそうありません。どういう作品をやるか、その内容が問われる時代です。なので、主演女優が悪いとは思わないし、むしろ不幸だなと思ってます。結局のところ、わかりやすい作品、特に勧善懲悪モノがウケる。もちろん、浮世離れなものでは見てもらえない。ある程度のリアリティがないといけない。それを思うと、魂が入れ替わる時点で浮世離れしちゃってるし、オリジナルな作品ではない。そして、裏に強い作品がある。そりゃあなた、誰も見ませんよ。主演の女優さん自体は面白い人だから、いずれ作品に恵まれるでしょう。みんなそういうのを乗り越えて一流女優になる。そのチャンスが次いつ訪れるかは運任せでしょうな。
最近の日本人は本物志向が強いように感じます。それが昨今、テレビへ向けられる視線の厳しさとなって現れているのかなと自分は思います。要するに、マスコミによって作られたものを嫌い、努力の賜物、プロフェッショナルな仕事をする人を好む。それは別に悪いことではありません。しかしながら、意識は高くても結局細かなところにばかり目が行ってしまい、肝心の部分には目が行き届いておらず、最終的には自分たちの首を自ら締め上げる結果になることを自覚していません。
このブログで何度も演出とヤラセについて書いてきました。ほこたての件でまた書かなきゃいけないのかなと正直辟易しています。私はほこたてが大好きでした。確かに1時間番組になって演出が派手になった、水増し感を感じることはありました。金属とドリルを巡る戦いは、双方の関係業界誌の記者も対決場所を訪れ、戦いに関する記述がいくつかあります。その中で、2度ともやって、2度とも金属が割れ、ドリルも摩耗しきっていた結果を書いていたものを読みました。テレビの中では一発勝負に見えていますが、実際は2度行われていた、そんな試合があったのです。おそらくは予備のもので再度やってみたのでしょう。しかし、そのことはテレビで語られませんでした。なぜでしょうか。説明が回りくどくなってもういいわとチャンネルを変えられる可能性が多分にあるからです。
ほこたてで問題となった部分についても、説明が回りくどくなりそうだったり、最初から勝ち目が見えていたり、企画で数十分持たせるには到底足らない取れ高だったり、理由は様々あったと思います。しかし、そのことを視聴者に正直に話したとして、視聴者はどう思うか。俺らにはそんなこと関係ないし、どうでもいいよと思うでしょうね。そりゃそんな実情を説明されても、視聴者は困ります。だから、少し見栄えを良くしようとした。その結果がああいうことだったんだろうと思います。
自分は、この企画の元ネタはなんだったのかを探りながらバラエティ番組を見るのが大好きです。思いつきでいきなり始めた企画もあるでしょうが、多くは何かしら面白い要素があったからそれを企画化したはずです。これでオチをつけよう、そのためにはこういう流れにしようというプロセスを辿ることがとても面白い。それが演出なんだと思います。正直、視聴者を無視してでも演者側だけが面白いと感じるものを作ったっていいんです。自己満足だなんだと批判を受けるでしょうが、自分は面白いと思って作っており、結局その人にはハマらなかった。ただそれだけの話です。それを自己満足と片づける。俺は好かないなで全然問題のない理由なのに、それだと幼稚だと思われるからそういう言葉を用いるのでしょう。食べ物の好みだって結局は俺には合わない、生理的に受け付けないみたいな選別の結果です。
問題は視聴者の好みに合わせようとするあまり、演者の気持ちを無視した番組が数多く作られることです。これは仕事です、割り切ってやってますという雰囲気を醸し出す演者を見てしまうと、その番組自体がどうにもつまらなさそうに感じます。ランキング番組にしろ、企業におもねった番組にしろ、本当にそれを面白いと思ってやってんの?と感じることが最近多いです。気付けば自分は毎週歴史番組や地方ローカルの番組、NHKのニュース、HKTの番組ぐらいしか見ていません。テレビ大好き少年だった自分がほぼテレビを見なくなった。
流し見すれば面白い番組はあるでしょう。でも、じっくり見る人には全くもって不向きな番組ばかりで、そりゃ金を払ってでも昔の番組を見たり、CS見たりする。テレビがBGMになってしまっているんです。数十秒の間すら耐えられない視聴者が増えた結果、わけのわからないことが起きるようになった。それを引き起こしたのは間違いなくテレビ側の人間です。視聴率競争に走った結果。だから、自業自得なんです。数字なんて後からついてきます。上質なものを作れば、どこかで評価され、次につながる。ただ、私は教養番組すべてが上質とは思えません。扱う素材がどうこうによって質がいい悪いと評価するのはおかしい。ドラマもそう。
めちゃイケの昔のやつを見る機会がありましたが、今だったらあらぬことを言われそうな場面が多かっただろうなと見ていて思いました。元ネタがこれで、オチはそう来るかと見れる番組です。ガキの使いにしてもそう。あと、内輪ネタに走り過ぎという批判にさらされることがどちらも多いですが、それだって早い話がその人が口に合わなかっただけの話。自分は面白いものだと思っています。しかし、それを模倣したような、なんとも雑な内輪ネタに走る番組もあります。それは不愉快に感じます。そのあたりの線引きはありますよ、そりゃ。
自分はどんな番組が見たいのか、本気で考えたことはあるでしょうか。ない人に限って批判的なように思います。私はあります。何年か前までテレビ番組の感想を書いていたと思いますが、そういう番組が見たいんだろうなと思っていただければありがたいです。相撲でもそうでしたが、見もしないくせして品格がどうこうと批判し、興味もないくせして今の野球にはスター選手がいないとバカにし、妙案があるわけでもないのに2ステージ制はいかんとサッカーのサポーターが声を上げる。私は大相撲に外国人力士がはびこったって構いませんし、スター選手のいるいないで野球に興味を示す人間ではないですし、赤字をなんとかしないといけないのなら2ステージ制もやむなしと思っています。私はバラエティ番組が大好きです。しかし、本気で考えたこともない人らの騒音によって、表現規制がかかるのはなんとも不愉快です。私はそのような人たちを皮肉った番組が登場することを願っております。それが出た時は思いっきり笑うと思います。
先日、27時間テレビで極楽とんぼの加藤さんが、流れの中でまゆゆの頭を蹴って殺害予告をされたなんて事件があったことをここにも書きました。27時間テレビの限界という記事に微少ながらも流れが書いてありますので詳細はおいとくとして、どうやらこの1件かBPOで審議の対象になったというのです。要は視聴者からあれは度を超えてるという報告が大量に寄せられ、振り回される側が了解していても見ている人を不快にさせる、あれは台本通りの演出だったのか含め知りたいことから、フジテレビの番組企画意図、製作方法に関して意見交換が行われるということ。
例えば、いじられることでおいしくなる人に罵詈雑言を浴びせ、ワンパターンなキレ芸をさせ、いつもワンパターンだなみたいなやり取りを見せ、いじられる側もそれを了承してるにもかかわらず、視聴者が不快に思えば、その番組も審議の対象になりかねないということです。ということは、この1件はただまゆゆの頭を蹴っただけにとどまらず、他のバラエティにも影響する、大変重要な案件となったわけです。
自分も見てて不快に思う番組はあります。正義面したコメンテーターの虫唾が走る平易なコメントの多いワイドショーなんて、あんなもんはガンでしかありません。芸能情報だけ取り上げときゃいいものを、政治を報道に携わっていない人間が扱う。それで視聴者ウケがいい意見だけをコメンテーターに言ってもらう。よっぽど審議対象だと思いますがね。NHKのバラエティみたいな人畜無害なものを作れということなんでしょうか。それって面白いんですかね?
最近のバラエティはそれこそ人畜無害化したものが多いように思います。番宣に出てきた女優や俳優を芸人がガイドし、おいしい料理に舌鼓を打つ。もしくはそういった俳優らがゲームに参加し、芸人がおいしくする、あとは特定の企業を取り上げ、その企業のいいところを紹介する、常識クイズと銘打ってたいして勉強ができない人をみんなでこき下ろすなど、最後は人畜無害ではないですが、たいていはそこまで毒はありません。この番組のどこに面白さがあるのでしょうか?
安易な視聴率稼ぎのために手を抜いたとしか思えない番組が乱立する。これは正直問題です。しかし、なぜそうなったか。これはBPOによる勧告やらなんやらがあるからだと思っています。刺激的な企画というのは、当たればすごい数字を取りますが、一歩間違えばとんでもない大クレームを生みます。おそらく多くのテレビマンは刺激的な企画を日夜考えているはずです。昔はそれが簡単に通った。しかし、コンプライアンスであったりスポンサーであったり、そのことを編成担当は考えてしまう。もちろんBPOのことも。これらのことから、結局スポンサーを意識した面白くない番組が乱立する。その点、そんなのかまへんとばかりに独立U局、地方局にそういった番組が回り、結果として地方の番組が面白いとなる(あくまで深夜に限る)
個人的にはバブル期に放送されていた番組が秩序を壊してしまったように感じます。見ている視聴者は好景気で心に余裕があった。だから、過激な番組についても誰も目くじらを立てることがなかった。それを見て育った世代がそんな番組を今作れば、そりゃこういったことになる。あとは、視聴者側の勝手な自己規制も関係してるでしょうな。
もし加藤さんの一件でなんらかの勧告があったとするなら、私はすべての番組を総点検すべきだと思います。クオリティとしてひどい番組なんて山のようにある。通販まがいの番組も多い。そっちの方が害悪でしょう。ただ、かくいう自分もバブル期に放送されていた番組が大好きなんですけどね。そして、大好きなバラエティも下品なものが多い。声の大きい一部の視聴者の意見、声の小さい一部の視聴者の意見、そして声を出さない大多数の視聴者の意見。そのどれが通り、誰にとって最高の、誰にとって最悪の結果となるか。楽しみにしてます。