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Twitterでときおり言い争いではないですが、この意見違うだろ!うっさいわボケ!だったらリムれ!みたいなやり取りが芸能人とそのフォロワーの間で起こることがあります。自分も知り合いに対したまにそういうやり取りに巻き込まれる、正確にはついやってしまうことがありますが、突き詰めると早い話、お前のことが嫌いなんだよ、俺が絶対あってるんだ、お前みたいなバカが指図すんなやみたいな話に集約されるのだろうと思います。無論、自分は、お前のことが嫌いだとも俺が絶対だとも相手がドアホだとも思っていません。いずれか思っているのならとっくにフォローをはずしてますし、相手にもしません。
何らかの話で意見を戦わせるふりをして不満をぶつけるくらいなら、お前はな生理的に受け付けないんだとでも言えばいいだけのことです。では、なぜそれをしないか。理由は簡単です。それもまた子供じみた理由だから。大人じゃないなあの人と言われても不思議ない理由です。ですが、もっともな理由を並べたとしても突き詰めればそうなります。なぜ人を好きになるかというのに、理屈を並べる人はそういません。イケメンだやさしくしてもらった、おっぱいが大きい胸が大きい、理由はそれぞれにしても、内部から湧き出る欲求のままを出してるだけです。動物なんですからそれが当たり前です。
なぜ人を嫌いになるかだって同じです。たいていはイメージ先行型、美意識の決定的な違い、性格の不一致、いずれにせよ人を嫌いになるのは好きになるのと同じくらい簡単です。これも動物ですからあいつに縄張り荒される、女が持ってかれるなど、子孫を残す上で邪魔な存在はたいてい嫌われます。それが自然であり、別にダメなことでもありません。みんな仲良くしていきましょうねという姿勢こそが本来おかしな話です。
みんな仲良くしていきましょうねの精神はどこで役立つか。それはチームの中で働く時。1つの目標に向かって頑張るときにいがみ合っていてはいけません。そのあたりの感情を捨てて、仕事なり競技に打ち込まないといけない。そんなときに、みんな仲良くしていきましょうねの精神は必要です。でも、そのチームから外れたらそんなもん関係ありません。生きる人生違うわけですから、ゴールも違います。その過程で人を嫌いになったり好きになったり、そのバランスが崩れたって何も悪くありません。
自分は人から嫌われることはしょっちゅうで好かれることはあまりありません。そもそも自分に好かれる要素がありません。先日もPerfumeのライブに行ってきましたが、その日の前後ではPerfumeはすばらしい!とツイートしまくりながら、他の日はHKTはいいね!なんて書いてるのでなんやねんこいつ、どっちが好きやねんと思われるのは仕方のないことです。女の子が嫌うと言われるギャンブルもやります。流行には乗らないし、皮肉屋なところもあります。そりゃ敬遠されてしょうがありません。しかし、自分はこれでいいと思っています。これがありのままの自分ですし、実際お会いしたらたいていの方が好印象になっていただいてます。まぁそれも自称ですがね。典型的なのが同じ横浜ファンなのに野球観が正反対、考え方もまるで違い、よく言い争いになる知り合いがいます。普通会うのも嫌になるはずです。しかし、その人とは定期的に会います。そして、たいていお互い笑ってます。言い争いにもなりません。いつも不思議に思います。
好かれようと努力していた時期がありましたが、結局うまくいかず、そういうのが苦手なことに気付いたのは大学時代です。自己紹介が大嫌いな時があったのですが、それはうまくいこうと気を張ってたことが原因だと気付き、自己紹介を普通にやるようになりました。あと、最大のきっかけは父親の言葉です。父は私に友達は絶対作れと念押しされていました。その理由が、自分の結婚式の時に友人代表がいないと悲しい人だと思われるからというものでした。そんなことのために人って友達作るの?ってかお前はそうしてきたの?と愕然としました。だったらそんなもんいらんわと思うようになり、今に至ります。
それでも私の友人はいます。ほぼ全員人格者です。新たに出会うこともあります。それはなんでだろうと考えた時に、自然に接するという原則が自分の中にあるからだと思います。あと、この人とは一度限りとも、絶対この縁を大事にしようとも思いません。縁があるなら自然に次の機会に恵まれますし、ないのならそれっきりですし。その努力は確かに必要ですが、自然とわき出てくるもののように思います。なので、絶対に会わないといかんと思ったら多少無理しても会います。それが縁なのかなと。今のところ、これが正解だと思っています。
生きてればそりゃ色々あります。それも自然の流れですから、無理に抗うことなく生きていきたいですな。
視聴率の及第点がどこになるかは局によって違いますが、最低限2ケタ、とれるものならいくらでもというのが本音。なので、いかに視聴率をとるか。ここ20年におけるテレビマンの創意工夫は功罪置いといて立派なものだと思います。アメリカなんていくら何シーズンも続いてるテレビドラマであろうが数字が低くなれば即打ち切り。ヨーロッパではリアリティー番組が幅を利かせ、生々しいやり取りをそのままテレビで見せる。
そう思うと、日本という国は寛容です。いくら数字を取れと言ったって、えげつないことをすればそこまでしなくてもと視聴者が注意してくれて、かといって数字がなかなかとれなくてもとりあえず1クールはやりましょうとなかなか打ち切りにはさせない。もちろん数字以外の理由で打ち切りになることはあるものの、あまりにも低視聴率で4話で打ち切りということはほぼありません。
それでもゴールデンで3%というのは低過ぎます。誰だってそんな数字をとりたくてドラマを作っているとは思えませんが、ここまで低い数字を出すというのはすごいことです。いろんな環境が揃わなければここまでの数字は出せません。とりあえず既視感の強いドラマでは数字が取れない。ホームコメディのパターンはすでに出尽くしてる。あまちゃんにしても半沢直樹にしても、今までのパターンにはなかったドラマです。恋愛ものならどうせこうなるんだろ?という筋書きを安易に立てられがちですが、それがないやつは面白い。仮に数字が低くても評価は高い。視聴者に評価されるか業界に評価されるかの違いです。
では、夫のカノジョはどうか。魂が入れ替わるという設定はしばしばドラマの題材にされます。どうせこうなるんだろという筋書きが非常に立てやすい。色んな人と魂が入れ替わりまくるみたいなことがあればめちゃくちゃで面白そうですがまぁないわけで。ドタバタ劇のパターンもある程度出ているので別に見なくたっていい。そこに裏番組が強いとなれば、そちらに流れます。自分のようにみんなが見ているのを見ない天の邪鬼はいますが、そもそも天の邪鬼は好き好んでドラマを見ません。
業界の評価にしても、設定が使い古され、そして歴史的な視聴率の低さ、これでは高くなるわけがない。視聴率がすべてではないと主演女優は言うものの、そうじゃない部分でも評価はされない。早い話、主演であることを後悔するしかない。見てもいないのに評価をするなと言う人はいそうですが、マニア受けするならそういう声がネットにあるはず。それも見かけない。これを製作した人が何を思いながら局にプランを提示したのか、とても気になります。
いまどき、主演が誰だからという理由で視聴率が左右されることはそうありません。どういう作品をやるか、その内容が問われる時代です。なので、主演女優が悪いとは思わないし、むしろ不幸だなと思ってます。結局のところ、わかりやすい作品、特に勧善懲悪モノがウケる。もちろん、浮世離れなものでは見てもらえない。ある程度のリアリティがないといけない。それを思うと、魂が入れ替わる時点で浮世離れしちゃってるし、オリジナルな作品ではない。そして、裏に強い作品がある。そりゃあなた、誰も見ませんよ。主演の女優さん自体は面白い人だから、いずれ作品に恵まれるでしょう。みんなそういうのを乗り越えて一流女優になる。そのチャンスが次いつ訪れるかは運任せでしょうな。
橋本館の朝食、これがまぁ日本人の朝ごはんみたいなラインナップでおいしいことおいしいこと。そりゃおひつに入ったご飯もすっぺりなくなるはずです。全体的にご飯がおいしかった。サービスも良かった。にしては安い。福島遠征をする機会があれば必ずここを利用するでしょうな。それくらい気に入りました。
そこから温泉街を散策しいよいよ競馬場へ。映像などである程度はわかっていましたがまぁ立派できれい。食べるところが少ないのが難点でしたけどね。
うつわもの「すいません、カレーライスありますか?」
店員「ごめんなさい、売り切れました。」
うつわもの「じゃあ、カツサンド。」
店員「ごめんなさい、これも売り切れました。」
うつわもの「じゃあ、焼きそばは?」
店員「他のお客様の注文もありまして、数十分は・・・」
あのな、ここで重賞あるんだからある程度想定しとけよと思いながらわざわざ1階まで。そしてまぁ混んでる混んでる。どうにかならんもんなのかと思いつつ、山菜そばを。おいしかったですけどね。
肝心の競馬はグロさんが酒井学でのどでかい当たりぐらいで、私も上腕先生もやられっぱなし。王子にいたってはなんのために競馬場来てるのかわからんくらいにやる気なし。これだけでも優先順位がわかります。競馬がしたい人、旅がしたい人。王子は完全に後者。大洗でのあんこうを執拗に推してたのですが、悲しいかな、日曜が大洗でのあんこうイベで人がわんさか来ていたと。正直、この情報が宿をとった後に知ってよかったなと心底思いました。
ようやく福島記念で私がワイド19倍をひっかけ、その後なんとか細かいのを拾っていったり、上腕先生は単複で初当たりなどなんとか大けがだけは避けた格好にはなりましたが、あんまり芳しくはなかったですな。マイルCS、本命トーセンラーで熱かったんですがヒモ抜け。ダノンシャークをワイドで拾ったところでね。
そして、帰りは王子恒例のわがままで饅頭屋に寄れと。最後の最後まで食い意地がはってる人ですが、そういう嗅覚は侮れず、ここが案外おいしい饅頭屋さん。食べ物のことは王子に聞けば間違いない。帰りは渋滞の恐怖が待っていたのですが、あえて待機しそのまま突っ込むという作戦が功を奏し、すんなり東京まで。そこまでの会話もやはり文字には起こせません。なんでもかんでもダダ漏れというのもどうかと思いますしね。ジャパンカップの日にまたお会いするので土産話を他の人にも。
次は地方競馬でしょうな。あと新潟でもいいですけどね。来年秋の新潟開催。2年前の悪夢があるので準備を万全にして行ければなと。今回はある程度できていたので余計な疲れはありませんでした。福岡遠征という手もあるにはありますしね。ただ、まず1度劇場で公演を見てからになりますが。とりあえず旅はいいもんだなと思いました。三食を松屋で済ませよう、寝るのは個室ビデオ店でなんてのは良くない。それをやってたのが去年のジャパンカップ。早いですな、1年は。
発端は去年、グローバリストさんが「界隈で温泉行きたいですねぇ」という話でした。それまでもちょくちょくその話が出たのですが立ち消えに。最大の問題は車がなかったことですが、自分が府中まで車で行くようになった時、あっこの車で行けばOKじゃね?ということになり、前向きな検討がなされた結果、秋の福島競馬と温泉に行こうということになりました。
参加者は私とグロ氏、上腕三頭筋ですさん、ぜいたく王子さんの4人。旅全体の運転手は私でした。この旅では結局700キロの移動が行われましたが、バトンタッチすることなく完走できました。どこかで交代してもらおうという気持ちは最初ありましたが、不思議なもので会話していると疲れをそこまで感じず、案外早く時は過ぎるものです。界隈は文字に起こせないくらい会話がひどいので、そのたびに下品な笑いの雨嵐。むしろそういったのが功を奏したのでしょうな。
1日目のメインはアクアマリンふくしま。小名浜にある水族館で、王子のリクエストで行くことに。水族館の近くでご飯を食べようということになり、あれこれ探していたら近くに駄菓子屋さんが。そこにあった10円ゲームに私と王子がハマり、そこそこの散財。あれを全力で楽しめる大人はそういません。上腕先生の冷たい視線にさらされながら、なんとか景品をゲットし、ようやく昼食。海鮮丼を食べたのですが、これがまぁおいしい。ウニがとってもうまい。この旅で何度か口にする「幸せだなぁ」が自然と出てきます。水族館はとても興味深いものが多かったですな。王子の博識さには驚かされますが、サメに関する知識を喋らせたらまぁずっと喋ってるだろうってくらい、出てきました。
宿は飯坂温泉で取りました。橋本館というところで、どえらい昔の巨人軍、どえらい昔の十朱幸代、どえらい昔の由利徹などが宿泊するところで、建物自体は大変古く、一瞬大丈夫かと思いましたが、入ってみると大変快適で、料理もおいしく、これはいいところに来たなと。あと従業員の方が温かみのある方でとっても親切。泊まるならまたここにしようと思えるくらい、立派な宿に泊まりました。夕飯後はめちゃイケやサッカーのオランダ戦を見ながら明日の競馬の検討。オランダ戦前に、王子がサイコロを振りスコア予想をしたところ、3-1でオランダと出たので、前半が終わった時点でこれサイコロの魔力で本当にそうなるんじゃね?と言ってましたが、既報通りの結果。それはそれで盛り上がりましたな。
そのあとはずっと競馬の検討。1時半まで私とグロさんは起きていました。そして4時半に目覚める私とグロさん。さすがにこの後運転を控える自分は二度寝をしましたけどね。そんなこんなで怒涛の2日目を迎えます。
AKBグループがペナントレースをやる。はてどういうことだろうと。応募倍率などの数値で1位を決めようということなんですが、これが極めてあいまい。野球なら勝った負けたなので大変わかりやすいですが、応募倍率であったり、支持率、MCで頑張ってる人への評価など。これじゃ疑われる余地が出てきてしまいます。支持率というのもおかしなもんで、普通支持してなきゃ応募してまで見ようとはしません。そして、その支持率を調べる指標となるべきものは何か。突き詰めればわんさか問題点は出てきますが、今のところ詳細は出てきていません。レギュレーションが決まりもしないものに一喜一憂するのはバカげています。
東スポを読んでいたら、ドラフト会議の真の狙いは劇場への原点回帰とのこと。要は人気メンバーは外仕事が多すぎて公演には出られず、どれだけ公演で頑張ったとしても報われない、これはおかしいじゃないかと。あとはきめ細やかな指導を昔はしていたのにそれができていないのはいかん、原点に戻ってボイトレなどきっちりやっていこう、劇場で頑張ってるメンバーには仕事を与えていこうなど、お題目は大層立派に感じます。
しかしながら、外仕事で求められるものと劇場で求められるものは違います。一般人からすればダンスがどんだけうまい人でもトークが下手ならつまんねぇアイドルだなと言いますし、可愛さや面白さがあればあの子はいいなとなる。たびたび一般人の評価と48グループを応援する人、運営側の評価が食い違うことが起こります。これは当然です。一般人からすればいまだにそこらへんの可愛い子でもAKBになれると思われている。その評価を覆さない限り、どれだけ劇場で頑張ったとしても意味はありません。外仕事で見返さないことには何も始まらない。
元々劇場至上主義、ダンス至上主義を根底から否定したい人間なので、そりゃ今回のことは邪魔でしかないと思っています。芸能なんていうのは数字で推しはかれるものではない抽象的なもので、もし数字でドライにやるのなら、SKEの最新シングルの選抜はもう少し変わってないといけません。選抜に選ばれるのはどういう人間か、「普段の頑張り」という数字には到底できないものが基準になります。じゃあ本当に頑張ってる子が選ばれるかといったらそうでもない。見栄えと頑張りを総合的に評価した結果、順序が決まってる。そんなにダンスを極めたきゃダンサーになればいいじゃんという話で、仮にもアイドルなんだから、ダンスがいいから選抜にというのはおかしい。
80年代のアイドルなんて歌はド下手、ダンスも体を揺らす程度、でも可愛いから許される。この基本は今も昔も変わりません。歌もうまくてダンスも上手でしかも美しいなんてのは韓国のアイドルの話。だったら、EXILE系列の皆さんがもっと人気になってもいいはずです。演歌や歌手で食ってる人は歌がうまくなきゃいけません。ダンサーは踊りがうまくなければいけません。モデルさんは美しくないといけません。その3つをアイドルが兼ねるなんてのはちゃんちゃらおかしい。可愛ければいいんです。どれだけ多くの人に可愛いなぁと言わせるかが仕事です。面白さだってある程度でいいんです。芸人じゃないんだから。
頑張れば報われる。学校の道徳ではそう教えるべきでしょうが、持ってる素質の時点でどうにもならない差があり、頑張ったとしても時の運によって報われないことがあることも一緒に教えるべきです。努力は報われるかもしれないが、己の運次第。じゃあどうやって運って自分についてくるのか。自然の赴くままに流されることでしょうな。自然に逆らうと神様から見捨てられる。運命と思ってその境遇を受け止めるしかない。頑張れば報われるなんて教わるから、報われなかった時に災難が降りかかる。特に芸能の世界なんて顕著です。重く受け止めて命を絶つメンバーが出ないといいですな。アイドルだって水商売なんですから、稼げるだけ稼げばいいし、踏み台にすりゃいい。AKBの中でトップ取ったってたかが知れてる世界なんですから。