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私は昔から政治が好きです。選挙特番もなぜか子供の時から見てたし、学生時代は票読み、議席予測はよくやっていました。だからこそ、AKBの方の選挙にも興味があるわけです。選挙制度に関するレポートも書きました。法律は学部でやってたので、その興味も持っています。ゆえに、今回の安保法制の話題は大変興味を持っています。必要だとは思うが、いかんせん急ぎすぎで、なりふり構わぬ姿勢があまりにも目立ち、そりゃ理解なんて得られないわなというのが感想です。日本のために必要なのだと語る姿は勇ましいのだから、その勇ましさで立ち向かえばいいのですが、果たしてどうでしょうか。
強行採決を見ても、別段何も思いませんでした。与党も野党も意地があります。下手に譲歩すれば格好の材料になるし、デモでこれだけ盛り上がってるのに野党は意地がないのかと言われたら大変です。みっともないという人がいますが、TwitterのRTで回ってきた山本太郎のプラカードを嬉々として喜ぶ行為もそんな変わらないでしょう。あれでスカッとするんですかね。山本太郎の場合、他にそんなこと言う人ないだろうというものを取り上げるからその層に人気が出るわけで、多くの人は眉をひそめて見るはずです。何してんのあいつ的な感じで。確かに度が過ぎる傾向にありますが、どうであれ議場や委員会で存在感を見せてるのはいいものです。大仁田厚みたいに強行採決の時だけ絡む人ではない。そうじゃないだけマシですが、変な意見でしょうか。
デモを先導する若者の集まりに対して最後書きますが、どれだけ本気なんだろうという目で自分も見ています。今回の件はおそらく願いは届かないでしょう。もしそれで全て終わったと思うのであれば大きな間違いですし、その程度の熱意だったということです。TVタックルで投票の啓蒙運動をやれとビートたけしに言われてましたが、それはやるべきでしょう。若者が最近政治に興味がありますと言われても、数字で出なければ意味がありません。数字となって無視できないものになれば政治家はそちらに目を向かざるをえません。実は30代も投票率が低調で、50代60代が足しげく通い、結局そこが中心となります。20代30代の投票率の上昇は1年2年ではなかなか上がらず、10年はかかるような話です。あの若者の集まりが10年持つのだろうか。まずは来年の参議院選挙までどういう行動をするか注目です。
不安なことを言わせてももらえない社会は息苦しい半面、えらいことを引き起こします。ガス抜きをうまくさせてやらないとみんなが巻き込まれる大爆発を必ず起こします。俺だって不満はあるんだ、でも言わずに頑張ってるんだという人が不安なことを言わせない素地を作っているのは大変不幸です。景気が良くなれば余裕も生まれます。しかし、なかなか良くならない。良くさせようとしないの間違いでないことを祈るばかりです。ツイート
ALSという病気の認知度向上のために、ビルゲイツやフェイスブックの創業者などが参加してることで話題のアイスバケットチャレンジ。誰かから指名された人が24時間以内に100ドルの寄付を行うか氷水を被るかを選択するというもので、実行した模様をネット上にアップし、その後また誰かを指名するというもの。海外では氷水を被った上で多額の寄付を行うセレブリティが多く、寄付文化が根付いているだけあるなと思います。
そもそもALSの日本での認知度ってどれくらいなのか。猪瀬知事の5000万円問題でも話題となった徳洲会の徳田虎雄氏もALS患者ですし、クイズダービーの1枠解答者でおなじみの篠沢秀夫教授のALS患者。知ってる人は知ってるでしょうし、ニュースなどを見ない人は聞きなれないのかなとも思います。しかしながら、筋肉が硬直してしまい、自分自身で活動していくのが徐々に困難になっていく様子は1度見たら忘れられません。
アメリカを中心に始まったアイスバケットチャレンジが、今年日本でも広まってきました。去年までも行われていたとは思いますが、ここまでの勢いは今年からでしょう。ただ、自分としては疑問というか、腑に落ちない点があります。これをやることで本当に認知度は上がるのかという疑問です。確かにこの運動を始めたALS患者の方には多額の寄付が集まったと言います。それはアメリカに寄付文化が根付いていることも関係あるでしょうし、多くの世界的な有名人が氷水を被るという衝撃もまた絡んでいるんだと思います。一方、日本の場合はどうでしょう。多くの芸能人がこのチャレンジをやっていますが、認知度向上のためか面白そうだからやってみたいなのかみんなやってるからやってみたいなのか、いまいちそのあたりがわかりません。この活動自体を否定するつもりは一切ありませんが、急な広まりすぎて唐突感が否めず、本当に続けていくのか疑ってしまいます。来週には24時間テレビがあるので、みんなで一斉にやればいいのになとは思いますが。
ですが、その一方で、私はそういうことはやりませんと宣言する行為についてもどうにも賛同できないものがあります。他にも難病で苦しんでいる人がいるんだ、なぜこの病気だけを・・・という意見。それもわかりますが、あくまで認知度向上のためなので、個々にアクションを起こすことが大切です。例えばアミューズでは毎年12月エイズ撲滅のためのチャリティーライブが行われています。サザンや福山雅治などの大物ミュージシャン、コメディとしては岸谷五郎とか寺脇康文などが出演したり、会社を挙げてのイベントが行われています。ニッポン放送のラジオチャリティーミュージックソンでは音の出る信号機を設置することを目的にチャリティーが行われているし、個々のレベルでも盗塁の数だけ車いすを寄贈する、試合で投じた球数に応じてワクチンを送るとか、様々やられています。毛色は違いますが、アイスバケットチャレンジはその一環です。日本にも根付けばいずれは賛同されるようになるでしょう。
9年ぐらい前に、ホワイトバンドブームが日本に訪れました。貧困撲滅の普及活動の一環だっと思いますが、あれを買ってもほとんど寄付されないという批判が渦巻き、早々に姿を消しました。諸外国ではこれでの売り上げを政治活動、政府への働きかけなどで用いる資金にしているそうですが、日本では耳慣れないので受け入れられませんでした。何事もそうですが、一時の関心は引けても持続しない。ふるさと納税のような今後の寄付文化に寄与するような仕組みが徐々に威力を見せつつある中、どうすればもっと根付くようになるのか、それを考えないといけません。持ちつ持たれつの精神の大切さ、割を食う食わないでの話にせず、困った時はお互いさまの精神を普段から持てるかどうか。アイスバケットチャレンジの試みを日本で根付かせるにはもっと大御所を引っ張り出さないといけませんが、大御所にその意識があるんですかね。
数年前、あるビジネス系の集まりに参加した時、大学生の自分らに対し、ビジネスマンは日経を読まなきゃいかんと言われ、日経新聞を読んで一番関心のある記事とそれについてのプレゼンをしろというお題が出されました。なぜ日経なのか、なぜ日刊スポーツやデイリー、東スポや夕刊フジではいかんのかとつい講師らに楯突いてしまいました。講師は黙ってやってろみたいなことを言うので、アタマに来て日経も読んでちゃんとプレゼンした後に、日刊スポーツもきっちり読んでまぁ私は日経なんかより日刊を信じますみたいなことを言ったのを覚えています。そもそもこんなやつが野心に燃えるビジネスマンの集まりに参加しちゃいけなかったのですが、就活生がバカみたいに日経新聞を読むのはアホくさいし、要は読んで満足しとるんちゃうんか、エセビジネスマンは!と提示したかったわけです。
私は基本的にマスコミを信用していません。NHKも朝日も産経も東スポも、週刊新潮、文春、実話ナックルズに至るまで自分の中での扱いはほぼ同じです。ここだから信憑性がある、ここはウソばっかりみたいな考えがどうにもできません。テレビ、ラジオ、日刊紙は1次報道、事件に関する5W1Hさえやってればいいんです。週刊誌や夕刊紙はその性質上、1次報道を受けての憶測であったり、下世話な2次報道をすればいい。それをどう捉えるかは読者の良識に判断すればいいだけの話です。真実を伝えるだ報道の自由だ言いますが、真実というのは誰の手も加わってない素材そのものであり、それを調理して味をやたらつけてこれが真実ですと言われても、はいそうですかと鵜呑みにはできません。
今度の三鷹で起きた殺人事件、殺された女子高生自身のわいせつな動画が犯人の手によって上げられてしまい、そのことで被害者の名誉や遺族の気持ちを踏みにじることが起こっています。犯人のやったことは、情状酌量の余地が全くない行為です。それを肯定する理由なんてものはあるわけがありません。どんな別れ方をしたかは知りませんが、だから殺していいとはなりません。
そのことを頭に入れた上で、書きますが、おそらく虚実の入り混じった情報が週刊誌を席巻し、あんまり知りたくない情報が飛び込んでくるでしょう。自分はなぜ犯人がここまでの強烈な殺意を持つに至ったかを知りたい。なので、自分の良識、他の人の意見などを参考にしながら、ある程度の事実は受け止めるつもりです。そういう行動は何もこの事件に限ったことではありません。どの事件、事故についてもしていますし、それをしていかないことには、なんでもかんでもマスコミのいいなりになってしまう。マスコミがこう言ってたからこうだでは有事の際に間違った方向へ向かうことになります。
マスコミを偉大なものだと勘違いしてるよなと思う現象があります。ヤフーニュースでしょうもない記事がトップになることです。ラジオでの芸人の発言、こんなものは記事にするまでもありません。そもそもそれを取り上げているのは決してマスコミとは言えないミニコミレベルのネットニュースサイトです。ほぼ影響力はありません。そして、ヤフーはただのポータルサイトです。何の力もありません。しかし、何を勘違いしたか、ヤフーニュースは選りすぐりのニュースを集めたものみたいな扱いとなり、しょうもない記事がトップに出て、おかしなことになっています。結局はアフィリエイトサイトと同じで、みんなの興味を引く下世話な記事を見世物として小屋で紹介してるだけの話です。これは伝えなきゃいけない!と思ってヤフー側が選んでいるとすれば大変バカげています。
私たちはもう少し常識を疑わないといけません。ただ、自分のように非常識、下衆、下世話、頭の狂った物の考え方をしてもいけません。権威主義的な物の考えから少し離れて行動したらどうでしょうかということです。マスコミは無力です。一時の風、空気、スポンサー、政府の意向などで簡単に記事の傾向なんて変わります。客観で物をかけず、主観で書きがちです。マスコミ報道に客観性があるのなら、ワイドショーで横一列同じみたいなことは起きません。ニュース番組ですら横一線なのを見てると辟易します。こう長々と自分も書いていますが、これだって主観で書いています。客観視などしていません。お前は頭がおかしいの一言で片づけられても不思議ない記事です。ただ言えるのは、ニュースは主観で描かれる。イメージで描かれがち。それをよしとするかよしとしないか。決めるのは己自身です。私はよしとしません。ただそれだけの話です。
私はとても性に関しては貪欲でございます。ただ、意外と風俗などでお金を使うことはまぁないです。お金を払ってまで気を遣うのはそもそも嫌です。この一言がこの人にはどう響くのか考えてしまうし、今苦笑いしたなとか、今の笑いは愛想笑いだなとか、今の返しは適当だなとかそんなこと考えてまで利用したいとは思いません。どんだけネガティブだよという話ですけどね。といいつつ、一度行ったらハマることがわかるからなんですな。パチンコがまさにそれですからね。あれだけやらなかったのにきっかけ一つでしたから。風俗への理解は人より強くあるのでね。
JKリフレと聞いて、はて何かね?と思ってましたら、新手のサービスらしく、女子高生にマッサージさせるんだけど、オプションでハグをさせたり抱っこさせたり、そのようなギリギリなことをさせてるんだそうです。これが行き過ぎると、散歩と称して街を歩き、デート気分を味わえるんだそうです。それがあまりにも過激だということで、JKリフレで勤める女子高生を補導するなどの事態になっているんだとか。絶対健全ではないですからね。バレずにやってればいいものを、やはり大がかりになっていくと、バレてしまうものです。女子高生には、私何してるんだろ?と我に返ってほしい。その経験は確実に今後に生かされますから。どう我に返らすか。これはもうリアルにデートしてる人を見てそうなってほしいですな。金になるじゃんと思う人はどうせ一線越えるんでしょうからケアせんでいいでしょうし。
私はメイドカフェも嫌いです。ここも気を遣うから。いらっしゃいませご主人様だ?知らんわそんなんという感じです。おそらくJKリフレも一生行きません。マッサージしてもらうなら評判のいいところに行きたいです。てもみんがありますしね。マッサージだったら黙っててもいいですから。中にはおしゃべりな人もいるんですな。その時は会話します。絶対にこちらから会話は仕掛けませんが、あちらからの会話は答えます。しかも、ちゃんと愛想よく。気持ちよくやってもらいたいのでね。仮に雑にやられても、話のネタにすればいいだけの話ですから。
感情が顔に出やすいとよく言われますが、正確には違います。顔にわざと出してるんです。汲み取れと。気を遣わない人は顔に出やすいことを指摘しますからね。じゃあわかってるなら、自分が悪いのかなとか考えろと。自分が悪くないと思っているからそういうことを言うんですね。自分だったら言いません。この人怒ってるなと、なにか言ったかなと。気を遣わない人はきっと風俗でも楽しめると思いますよ。金払ってるんだからそれだけのことはしてもらわないと困るといった具合でしょう。クレームもつけるでしょう。それが悪いとは言いません。気を遣わない人間になりたかった、がさつになりたかったという憧れです。
でもね、じゃあそこまで気を遣うというが、意外とがさつなところあるよ?と言われたりもします。例えばなんだと聞くと、お酒が空いてるのに継ぎ足さないとか。お前よ、そういう気を遣う遣わないじゃないんだよとケンカになったことがあります。うちの父親が一番厄介で、あいつ怒ってるとかつまらなさそうだとか敏感に感じるくせに、そのことで不愉快になりやすいのです。それでもケンカになりました。それはお前がチャンネルをガチャガチャ変えるからだと。そんなつまらないことで怒るなと。じゃあテレビに文句を言う行為もつまらないと。そうなると父親はだいたいお前は頭がおかしいと人格否定を始めます。人から人格否定をされることは異様に恐れるのに、人に対してはいともたやすく否定します。それで最終的にはなんでこんなことになったんだ?俺、疲れちゃったよ(笑)と、お前らに付き合わされた的なことになる。厄介も厄介です。
私の父親は嫌いな上司の嫌な行動ベスト10全部を含んでるような人間です。なので、誰が上司になっても、基本的には腹が立つなぁとは思いません。人材を使い捨てにしてきた人が上司になった時も、こいつ面倒だなぁぐらいしか思いませんでしたしね。その人は一応期待をかけているんだろうなというのをこちらが汲みましたから。なので、何十人の人がやめていったという話を聞いてもさして驚きません。でしょうねと。そんな自分もやめましたけどね。意外と重用され、エリアリーダーをさせられそうになったので。その時点で体を壊しており、そんなもんになったら命を絶つ流れになるなと。やめた時点でそれを考えてたのでね。
今では薬を飲みながら生活してますが、心の落ち着きはありませんな。簡単なんですけどね。共感にお金はいらんのですよ。共感が薬になるんですよ。なんでしないんでしょうね、人は。日本人は本当に精神論が好きです。その結果が先進国としては最悪レベルの自殺数につながるんだと思いますよ。自分は自ら命を絶つことはしません。山ほど考えたことありましたけど、行きついた結論が、その分思い切り迷惑をかけてやるということです。一番厄介だと思います。だったら死んでくれと思われるパターンです。気を遣うの極致はここまでいきます。なので、みなさん少しは気を遣いましょう。この発言失敗だったなと思ったら次でフォローするとか、独りよがりな期待なんて相手を苦にさせてるだけなんですから、お前のためにとか言わない。気を遣うと疲れるんだ、行きすぎるとこうなるんだというのがわかればいいんです。そんな嵐の前の日に書いた話でした。
自分が受けた体罰ってなんだろうかと思い返してみると、意外とないんですよね。ゴツンとやられたことがあるぐらいです。かといって、そんな恵まれた場所にいたかといえばそうではなく、体育の時間に先生の足元で、ぺちゃくちゃ喋っていた生徒を引きずりまわすという光景を見ました。うちの中学校は「自称」名門校で、不良が1人もいなかったです。そこらへんの公立なのにね。要は体罰をやる教師を数多く揃え、恐怖政治をやっていたんですな。本当に下らない3年間でした。
体罰に正しいもなにもないと思うのですが、どなたかがおっしゃる「正しい体罰」というのは、失敗したから殴るという行為では萎縮してしまい、自己肯定感を失わせるから、普段から褒めるなり、なぜ体罰をしたか理由をしっかりしておくこと、まっすぐに育ってもらいたいという親の思いを伝えることが大切だそうです。
人間というのは不思議なもので、自分に施してもらったことは相手にもしてあげようと思ってしまいます。自分はこうして育ってきた、だから自分もと思う。「正しい体罰」なるものを実践し、成功されたご家庭はごく一部だと思いますし、そのご家庭で成長された子供が親となった時、同じことをしたらその子供は成功するかといえばこれまたごく一部にとどまるでしょう。そして、そのごく一部で育ったロイヤルファミリーを教科書として世間に広められた日には、子供にすればただただ地獄です。ただの天然記念物なんですから。
外で言葉遣いの悪い幼児、異性に対して侮蔑感を持って接する子供を見ると、この家庭は不幸だなぁと思います。子供は突然変異でそうはなりません。日ごろの積み重ねです。普段接する大人は親ぐらいなものです。子供は自分を投影する鏡。こんな子供にしたつもりはないというのであれば悪いのは親です。人前でそんな言葉遣いはいけませんとよく子供を注意する親を見かけますが、子供にすれば人前も茶の間も同じです。人前でちゃんとした言葉遣いにするには日ごろから乱暴な言葉を使わなければいいだけの話です。そこまでコントロールできないのであれば、どう育ったっていいじゃんと思うんですね。適当に育てて適当に育つ。これで済む。ところが、人というのは世間体を気にしますから、適当に育てることしかしないで、まっすぐに成長してもらいたいと思う。一貫性がないんですね。すべてが場当たり的。考えが適当だからムッとしたら罵声を浴びせる、腹が立ったら子供にあたる。
愛情を注ぐのも難しいですけどね。なんでも買い与えることが愛情かといえば違いますから。子供の時の愛情の受け方でその後の人生での恋愛観結婚観が築かれると思っているので、ここは本当に考えないといけません。自分みたいにゆがんだ愛情で育つと、愛に飢え、他人にはゆがんだ表現で愛情を出してしまいます。自分はおそらく結婚しちゃいけない人間なのです。そもそも結婚以前の問題ですけどね。
前にmixiやTwitterではないSNSに参加していたときに、この手のことを書いたら、子育てされている主婦の方にお前に何がわかるのかというコメントを書かれたことがあります。その時は高校生でしたので、こういうヒステリック起こすようなやつがお母さんじゃ子供も可哀そうだと思ってました。今思うと、それは違ってたんですね。だいたいそんな余裕あるわけないじゃん。家事で精いっぱいなのに子供の将来の人格形成までに頭が回るわけないんですよね。なので、今自分が書いていることも結果的にはただの理想論。生きていくだけで精いっぱい。ひょっとしたらその姿を包み隠さず見せることが子供の教育にいいのかもしれません。
しかし、これだけは言えます。体罰で育った人間は必ず体罰に縛られる。体罰を多用するか異常に拒否するか。いずれにしても、いい結果には結び付きません。自分の中から出てきた感情は自分で処理してください。もしそれができないのなら、誰かに相談してください。もしそういう人がいないのであれば、ブログでその感情を出してみてください。子供は必ず親の行動をマネます。大変だとは思いますが、親御さんが子供の見本になってあげてください。