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体罰は必要か必要でないか。この問いは必ず議論が白熱し、そして平行線をたどります。個人の見解として、指導者が考える理想を共有するためにどうしても必要なことであればしてもかまわないと思います。その理想が独善的であればやってはいかんし、当然ただの感情だけならば普通の暴力です。殴られて気づくこともあります。自分は間違っていたと。ゆえに一律的に体罰はダメというのは違うように感じます。一方で、考えを共有するという行為をどれだけの指導者が行っているか。正直皆無に近いと思います。こうなりたい、こうなってほしいは誰にでもあります。では、そのためにあなたは何をしましたかと。その体罰が考えの共有においてどう寄与しますか。どのような効果がありましたか。そう質問を投げかけたら、おそらく多くの人が逆ギレします。逆ギレするというのはその程度の指導者なんです。その程度の指導者が教育と称して人を殴る。申し訳ないですが、こんなアホに教えられたくはありません。
人を育てるどうこうにも言えて、私は店舗責任者としてお店を任された時、問題点の共有と新人の育成度合いの把握を全員がわかってる状態にさせてました。ノートがありまして、そこにこういうことがあった、こういう失敗をしたというのを書かせてました。頭をどれだけ下げたかわかりませんが、面倒なことさせてすいませんねといつもいつも言ってました。そうなると、向かう方向が1つになるんですね。この人はこういう思考なんだ、こういう考え方なんだというのもわかりました。それがわかれば頼み方も育て方も変わります。そのことをまだ20代半ばですが、なんとかわかったつもりでいます。でも、指導者の最大の仕事は責任をとること。それもよくわかってます。同じ空をみんなで見る。これがいかに大切か。
上に立つ人間は努力もせず、下の人間を批判します。結局はなんの自覚もないし、自分でここまで来た自負が邪魔してるんですね。AKBを見てそれを本当に思います。研究生はおそらく選抜メンバーと同じ空を見てませんし、チームメンバーですら見えていないと思います。そんな相手につぶしに来いという。同じ空を見せるのは上に立つ人間の役目です。それもせずして、かかってこいと挑発する。しょせんは個人事業主の集団です。同じ空が見えなくて当たり前なんですな。それでチームを組んで公演をやる。まぁでもAKBにしがみつきたいという点では共有されてるか。他のグループのメンバーや研究生に勢いが見られるのは当然でしょうな。AKB48新聞を見て、とあるキャプテンの言葉に刺激を受け、書かせてもらいました。
選抜高校野球も終わり、夏に向けての地区大会が各地で始まろうとしております。早いですなぁ。ここでの成績次第でシードがもらえるのですから、気が抜けません。今回の大会は1人で全部投げ切ることへの疑問、あとは守備妨害がとても印象に残りました。前者については、毎年言われてることですが、先発完投型に対する称賛は昔から根強くあります。これはプロ野球にも言えることですが、なぜそこまでもてはやされるのか。アメリカは球数制限タイプなので、完全試合目前でヒットを打たれたダルビッシュですら、打たれた直後にマウンドから下りています。象徴されるのが松坂で、日本では150球をこえても完投、大量失点しても完投していたのに、アメリカではまだ1度も完投していなかったかと思います。こうなると、科学的なものというよりは美徳なんでしょうな。
今回の選抜で一番印象に残ってるのが、県岐阜商の藤田が打球を足に当て、苦痛に耐えながら最後まで投げ続けたことです。県岐阜商の監督は藤田の父親なので、監督の方から下げることも、選手の方から申し出ることも、周りの目もあってそうできません。監督や選手の意思に任せるとあまりいいことはありません。球数制限であったり、負傷が著しい場合は強制的に後退させる権限があれば、意思とは関係なくなり、とやかく言われません。その場合はベンチ入りの人数を増やせばいいだけの話です。美徳によって選手生命を絶たれるのは残念というより、ガラパゴスな日本ならではの現象だよなと思ってしまいます。
同じ試合、最終回の攻撃で大阪桐蔭の選手が本塁突入の際に捕手にタックルを行い、守備妨害としてアウトになったことも話題になりました。これは去年同じ大阪桐蔭の森がアメリカ選手にタックルされ負傷したことを受け、そういう危険行為に及んだ場合には守備妨害を適用することが決められました。今回の選抜大会では監督会議においてそれが徹底されたそうで、あのような判断になったということです。今回の場合は捕手の手元にはボールがあり、タッチできる状態で、それを阻止すべくタックルした行為が危険だと判断されたと。別のケースではゲッツー崩しをしようと送球をしにくいように2塁へスライディングしたらやはり守備妨害をとられてしまったことです。
危険防止のための守備妨害の徹底。個人的には何も悪いことはないと思ってます。しかし、これを運用していくのはボランティアの審判、いわば素人です。いくら経験があるとはいえ、これが守備妨害か否かはその人の主観にかかわってきます。守備妨害を適用する際には審判団が協議の上、決めればいいと思います。しかし、少なくとも先の2件ではそれがありませんでしたし、場内への説明も行われませんでした。高校野球は立派な興業です。お金を払って見に来ているお客さんへの説明がなされないというのはおかしな話です。まだテレビカメラのあるところだからよかったものの、これから地方大会が始まる中で、必ずこの場面が出てくる。その際に満足いく判定ができるのか。正直、誤審と言われても仕方のないケースは出てくるように思います。それを防ぐには審判団で協議をすることです。守備妨害の適用限定でもいいからすべきです。
私は高校野球が正直好きではありません。あと、高野連の体質が大嫌いです。ゆえに厳しいことを書いたり、刺激的なことを書く傾向にあります。それでも選手への負担をなくしていく施策は目に見えてるのでね。もう延長18回まで投げることもありませんし、準々決勝を一発でやることもありません。ただ、日程のアヤで3連投になる投手もいる。そのあたりがまだまだ改善する余地があります。2連投した際には1日間隔を空けるでも効果はあるでしょう。あとは、審判のレベルというか、地方レベルにおける審判への指導アナウンスをどう徹底させるか。悔いのない試合にするためにやるべきことはまだたくさんあります。選手や監督の美徳まかせにしてしまうのはあまりいいとは思えませんな。
いろんな検索ワードを入力した結果、私のブログに来ていただいてるかと思います。いくつか紹介していきましょう。
・「ホリエモン あいつのせいで コンプライアンス」
ライブドアの元株主の恨みみたいですな。あいつがしっかりコンプライアンスをしとけば!と。正確には守備範囲で仕事をしていればよかったのに、甘い蜜を吸いたくなったゆえに手にしてはいけない果実に手を出してしまったんですな。それをコンプライアンスというんでしょうけど。私はニッポン放送買収の前からホリエモンを応援しておりますからね。がんばっていただきたいものです。
・「カトパン 伊達メガネ」
可愛いねぇと返せばよろしいかな?メガネをかけると女はエロくなると誰かが言ってますが、ピンク映画の見過ぎですな。ただ、映像を見るときだけメガネをかける女の子がいますけどそういうのは大好きです。該当する芸能人がバナナマンの日村さん、もしくは初老以上の女性というのがね。同級生にいたんですよ。可愛かったですよ。カトパンは可愛いといえば可愛いが・・・あっと、これくらいにしましょう。
・「いいときだけのニッポン放送」
色んな人に言われるようになったら終わりですよ。オードリーを確保できてよかったね。本当は文化放送のものだったんだよ?同じ系列とはいえ、お得意のANNやらせるよで釣り上げるんだから。上がりポジションと言われても仕方のないミュージックソンの司会後も45周年特番の司会までやる。どこまでオードリーを頼りにするんだろう。ネタコーナーなくてもフリートークで十分なラジオは強いよね。
・「珠理奈とくーみんはどちらの方が握手は神?」
私は珠理奈としか握手をしたことがありませんし、通常握手会だったこともあり、超高速だったのでなんとも言えませんな。じゃんけん選抜がんばってとしか言ってません。くーみんは初めて握手会行った時、隣のブースがくーみんでとても笑顔が可愛かったのを覚えてます。それが原因で頭が真っ白になり、グダグダになったのです。なので、たぶんくーみんが神です。惜しい人材を失いましたなぁ。
・「AV女優 気持ちよくない」
私の知り合いの方が実際にAV女優と一戦交えたそうです。動きが激しくて痛かったとのことです。職業病ですなぁ。こういうものなんでしょ?という思い込み、怖いですなぁ。
・「さまぁ~ず 寝袋に2人で入る」
おっさん2人で気持ち悪いのセリフが聞こえてきそうですなぁ。絶対2人とも嫌がってそう。目に浮かびますね。
・「Perfume 嫌いになった」
うつわものは嫌いになっても、Perfumeのことは嫌いにならないでください。フライングゲット。
・「人がうまく育たない」
それはお前がもっと下の人目線に立って考えて、同じ空を描けるように共有していくことと、なぜこの人はこのままなんだろうかということを論理的に考えろよと最後に説教。
この1カ月でいろんなのが来ましたな。最後に蒼国来の話ですが、どうやら相撲協会は控訴を断念、晴れて土俵に復帰するそうですな。幕内の最下位付けスタートになるとか。そうなると、番付編成をどうするかですな。大きく星を落として何とか幕尻で踏みとどまる人、下に1枚ある状況で7勝8敗だった人、十両組も考えないといけません。とりあえず当然の判断をした北の湖理事長はさすがですな。
学校での序列というのは最初から決まってて逆転はできないという。人に言わせれば、逆転はできるというが底辺にいたことがない人の意見だろう。底辺であることを許せないと思う人は最初から底辺にいるべきではないし、立場上は上にいるけど常に不安な人は最初から底辺にいるべきだと思う。自分は最初から底辺にいましたけど、それも生きる道だよなと思ってましたよ。一時期、足が速かった時があり、驚きをもって学年全体に伝わり、クラス対抗リレーのアンカー前をやらされた時は多少上にいられましたが、いいもんじゃないですな。数名の女子からはすごいんだねと言われましたが、自分は恐怖でしかなかったですよ。当時の環境はそれはもう純粋なやつがまるでいない世界でしたからね。底辺にいておくと、その世界に関わらなくていいんですよ。底辺は安全地帯なんですな。
みんなは上にいたいから努力するんでしょ?自分は努力しないから下にいるんですよ。努力しないことは悪だという風潮がありますが、下の人を見て安心してる上の人の意見に過ぎないんですよね。もしくは自分を高めるためにあえて煽っているか。下の人に関心があるんだなぁと思いますよ。偉いですなぁ。人のことをちゃんと考えてる。自分は人のこと考えませんからねぇ。上の人がどうだろうと関係ありませんから。ただ、本来、上にいるべき人が下にいると、上にあがれるように応援なり助力なりはしますけどね。いじめなんかもそうですが、結局は安心安定を求めるから、下にいくことを恐れるから起こる。上の人は知らぬ存ぜぬでまかり通る。
自分は自分だと思えばそんなこと思いもしないはずなんですよ。HKT48に田中菜津美という最近小学校を卒業したばかりのメンバーがいるのですが、その子の服装が奇抜すぎて、度肝を抜かれました。なんでこんな服着てるの?という問いに、自分は勝ち組だと、自分が着たい洋服を着ているだけ、他の子は周りの目を気にしてると。自分もこれに近い考え方なんですけど、それが許される環境かそうでないかなんですよね。自分は後者ですから。服なんてどうでもいい。それにもこだわる人がいるんですな。そんなに下に見られたくないのかと尋ねたくなります。
ナンバー1になりたくないことはないんですよ。ただ、それによって自分がなくなるのが一番最悪だなと思うだけ。自分がなくなったらその人に価値はありませんから。個を大事にしてるようで、ないがしろにしている。最近の若い子たちには正直個性がないと思います。ただ上の世代はそのあたり鈍感だったというか、常に連絡をとる手段もありませんでしたから、一緒に比べる対象ではありませんけどね。私はLINEを一切やりませんが、メッセージを読んだ読まないで軋轢が生まれる世界でどうやって個性を出せというのだろうとは思います。だから、きゃりーぱみゅぱみゅがブレイクしてるんだと思いますよ。あの個性の強さは誰にもマネできない。嫌われてもいいという覚悟がなければできない。
最近自分も嫌われてもいいやと思うようになってます。私はこういう人間ですよというのをTwitter上でさらけ出してます。そりゃ引く人もいるしブロックされることもありますよ。でもね、だからなんなのと思うんですな。ハガキ職人から嫌われてるなぁと思ってますけど、そりゃ嫌いになるでしょう。まずラジオを聞かないし、同調しないし、それでいて主義主張はするし、考え方を細かく問うし。フォローされてリムーヴしてきた職人さんを数えきれないほど知ってます。かといって、じゃあショックを受けるかといえばほぼ受けませんよ。自分がつぶやきたいと思った結果がツイート数ですし、それによる影響がフォロワー数だし、わざわざフォローしていただいてありがたいなと思ってフォローしますからね。
自分は人を見下げませんし、評価もそんなにしません。ソープ嬢だからこいつはどうこうとも思いません。立派な職業なんですから。かといって、見上げもしませんけどね。汗かいて働くことの大切さを昔から説く人がいますが、左から右にやるだけでお金儲けする人だって大切ですよ。どの職業も必要性があるから存在する。ゆえにどの職業も同じくらい大切なんです。上とか下とかではないんですね。物を生み出さないから虚業などというのであれば、マスコミだって虚業ですよ。目の前の事実を書くだけでいいんだから。
親ですら自分のことを変わってると言いますからね。だからなんなの?と問い返すと、それだから社会でやっていけないと返してきます。ではどうであれば社会でやっていけるのかと問うと、その姿勢だよと言います。では、なぜその姿勢になったのだろうかと問えば知らないよと返ってくる。それこそ無責任じゃねぇかと思いますけどね。やっていけないから何が悪いの?という問いに答えられない。発言に責任を持つ人なら変わってるとは簡単には言いません。感情的な物言いを避けるからです。責任を持たない人間に他人のことをとやかく言う権利もなければ、誘導する権利もありません。
生きにくい時代だからこそ自分を大切にする。それは嫌われることをも厭わない姿勢が問われるということです。覚悟は必要ですけどね。相当傷つきますし。それでも自由に生きられるのであればそれを選びますよ、自分はね。
今年もAKBの選抜総選挙が行われるという発表があり、もうそんな時期かとふと思いました。そういえばここで劇場盤を10枚買ったなぁと思いだしましたが、前回は投票券が入っていなかった劇場盤にも入るようになるとのことで、なんともありがたい話です。今回と前回で大きく違う点、それは立候補制度です。今までは強制参加だったけど、参加しなくてもいいと思ったら参加しないということも可能になりました。あとは卒業したメンバーでも一定の条件をクリアできれば参加できるシステムができました。これにより、選挙の構図が変わることになります。最初に推してたメンバーを推すか今推してるメンバーを推すか、この選択に悩まされるでしょう。
この立候補制度、個人的には面白い仕組みだと思っています。あえて参加しないという選択肢をとるメンバーがいていいと思うからです。一番最初に不参加を表明するメンバーに必ず注目が集まります。やめたメンバーが不参加というのは面白くもなんともないので、あくまで現役のメンバーに限られます。あえて辞退する。それが研究生なのか選抜上位メンバーなのか。後進に道を譲るということで大島優子が出馬しないのはありえそうだなと思います。道を譲ることが悪いことだと捉えるメンバーは多そうですけどね。あといそうなのが、立候補忘れ。これもこれで面白い。あってもいいのかなと思うのが、私の想いを他のメンバーに託しますと特定のメンバーへの投票に集中させる理由で参加しないというもの。いわゆる統一候補というものですが、HKTであってもよさそうですけどね。ぐぐたすで予備選として参加不参加を問うことも面白い。
これは残酷だと言いますが、視点を変えれば目を引くチャンスであり、メンバー個人のがんばり次第では大きなうねりを起こせるということです。私出ますだけでは当たり前すぎる。ぐぐたすでの予備選、グループ内で統一候補を選出するための予備選など、企画として面白そうなことはいくらでもできると思います。それが出来ていたら、かわいい区の元区長みたいな人をつぶせる人が相変わらずいないなんてことないんですけどね。つぶしに行く地力がないからね。追い込み馬しかいないわけだからしょうがないさ。