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07年から今まで好き勝手に書いてきているブログです。消したい記事もたくさんありますが、文章の拙さ含めてお楽しみください。
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私自身、趣味が豊富にあるというより、色々なものに関心がわきます。好きなタレント、好きな番組を見つけると優先的にそれを見るようになり、知識をつけていくという状態です。では、それが尽きるとどうなるかといえば、嫌いになることなくフェードアウトしていきます。あれは面白いよね、楽しいよねと思いながらフェードアウトするので、人に勧めることはしますが、率先して自分が勧誘することはしません。人間、少しでも楽しい、面白いと思えるようになれば誰からの誘いなくともハマっていくものです。

私はよく何かを批評したり、分析したり、観察したりし、それを文章にすることがあります。それは趣味に対しても同じなのですが、そうなるとネガティブな話が時折続いてしまうことがあり、読者から、「あなたは何が楽しくてそんなことをしているのか」と疑問を投げかけられるのです。その答えを述べるならば、趣味は楽しいだけがすべてではないということを言いたいなと思います。

例えば、横浜DeNAベイスターズは、2005年以降ずっとBクラス、しかも圧倒的な最下位を何度も経験しています。もし、この時代の横浜ファンに、「あなたは何が楽しくてそんなことをしているのか」と問えば、いつか優勝する、その時にこの悔しさが発散されるとか、そもそも38年に1度優勝するチームだからとか、運命共同体だから今更別のチームを応援するとかありえないなど様々返ってくるはずです。趣味は楽しいものだ、それ以外は受け付けないという人は1998年にファンとなり、2002年、2003年で去ったはずですし、その後にもそういう機会があったわけで、おそらく昔からのファンは私みたいに、ゆがんだ愛情表現でしか愛を示せない人もいれば、ずっと母親のような気持ちで応援する人など様々います。それは勝敗を超えて、このチームと接しているからであり、どんな愛の形であれそれは愛なのです。

趣味は楽しくあるべきというのはその通りですが、趣味を凌駕し、ライフワークになる日が訪れます。そうなってしまうと楽しいだけではやっていけなくなります。段々と嫌な部分が見え、いずれ嫌いになるかもしれない。それでも、切り捨てられないものがある。横浜ファンであることは決して趣味ではなく、人生そのものになりつつある。私はそう感じています。趣味を凌駕し人生となるものは誰にでもあるはずです。それは無条件に愛情を注げる関係性になる。楽しいだけが趣味ではありません。それを超えるものが出てきます。

今年の横浜には期待しかありません。特に強調すべきことはないものの、なぜか期待できる。あとは、ラミちゃんが落ち着いてくれればそれでいいのですが。とりあえず、死ぬまでにもう1度優勝してくれればそれでいいです。それを見るまで私は死ねません。

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日本人は感情的な議論と本来あるべき意見のぶつかり合いをとかく勘違いしがちです。最初は意見の違いだったはずなのに、「こいつは俺が気に入らないからいつも反論してくるのだろう」と思われ、いつの間にかケンカになってしまいます。反対に、意見をただぶつけているだけなのに、「なぜこの人はいつも感情的になるんだろう」とその姿に疑問を抱いてしまいます。そんなこともあるからか、日本人はディベートが嫌いですし、ディベートが得意な人をどこか冷酷とか、人をなめてるというよくわからないレッテルを貼りがちです。事実、ディベートの授業が学校で行われることは少ないでしょうし。

多様性のある意見が必要だと私自身思いますが、好き勝手言うことと他人のスタイルを尊重して意見を言うのではまるで違います。芸能人がSNSなどで好き勝手に喜怒哀楽を表現していますが、そこらへんのヤンキーのガン付けのようなものです。腕力があるものだからなんかあったらケンカしたいという気持ちがあるんでしょう。それだけ本業で制約があるのかもしれません。格闘家はその点、パフォーマンスでは俺より強いと誇示しても拳を交えれば相手の力量などがわかりますから、相手を一応リスペクトしますし、ケンカを売る一般人には手を出しません。手を出したら捕まりますから。

最近の事象を見ていると、感情のケンカか、ケンカと格闘技の不一致しかないように思います。ケンカの仲裁をやったことある人ならわかるでしょうが、互いに気が立っていて、下手なことを言えば戦いを大きくします。解決方法は距離を置く、互いに説教する、反省させるぐらいしかなく、どちらかを一方的に糾弾すればその恨みは増幅します。ケンカと格闘技のマッチアップも同じで、格闘家はいなし方や戦い方を熟知してますから簡単にケンカを仕掛ける人を一蹴し、なるべく戦わないようにします。戦ったら終わりですから。本当に強い人は戦わずして勝とうとします。そして、強さを誇示しません。

Twitterは世界を変えたという話を2010年ぐらいから聞いてきて、アラブの春のような民主化運動が最たるものでしたが、結局そのアラブの春の混乱が今の世界情勢の悪化を招いているのですから、確かに世界を変えたのかもわかりませんが、明らかにパンドラの箱を開けたような状況にはなっています。今までは知らなくてよかったことまで知り、その取捨選択の術を知らぬまま、ネットの世界に放り込まれる。昔の歌舞伎町を歩くような危険性の中で毎日過ごしているわけです。ケンカなのか格闘技なのか、それをどれだけ見極められるのか。その力を養うには、そもそも自分がどちらのタイプなのか認識するところから始めなければなりません。

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早稲田大学時代から五郎丸選手のお名前は知っていましたが、いわゆる名前だけ。なので、どういう選手だったかも実は大会前までそんなに知りませんでした。ですので、初めて五郎丸選手の名前を知ったら、それをただただ言いたくなるのはなんとなくわかる気がしますが、他にもいらっしゃいますからね。今から予言します。絶対忘年会で五郎丸選手のルーティーンが流行ります。去年のダメよダメダメに近いものがあるので、アンパイ切った安全運転野郎だなという暖かい目で見てあげてください。

先日行われたキングオブコントの視聴率が歴代最高だったようで、裏のイッテQとどうにか勝負できて、少し意外でした。こういった賞レース自体、私は見ないようにしています。自分が好きなネタが否定されていくのが嫌だというのも中にはありますし、これのどこが面白いの?というのが優勝されても心中複雑になるというのもありますが、そういったことを人が言ってるのを見るととても不快になります。前に家族とM-1グランプリを見た時、父親が色々言っていてかなり不愉快になって以降、お笑い番組自体、家族とは見ないようにしています。一番不毛なのはこんなことでケンカすることであり、これを発端とし、今まで言えなかったことを吐きだすきっかけになるだけです。それが読める以上、見るという選択肢は当然ないですし、わかっていて見てもめ事に発展したらただのアホです。

不思議なもので、お笑いに厳しい一般人ほど、単純なリズムネタにハマってしまう傾向にあります。私の父親もあれだけお笑いを毛嫌いしながらレギュラーのあるある探検隊がツボです。頭を使うようなコントなどへの嫌悪感と、ただただ単純なリズムネタへの免疫のなさはきっと関係性があるのかもしれません。最後の最後はベタが生き残るというのもわかる気がします。ゲラな人ほど寛容的な分、単純なリズムネタを嫌うようなこともあるかもしれません。笑いって不思議ですな。

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毎週土曜の深夜、ツイキャスで何時間か喋るのを日課にし始めました。以前もやっていたのですが、コラボ機能の面倒さにノックアウトされ、ツイキャス自体辞めてしまいました。最近また始めるようになったのは、本来の用途に立ち返っただけのことです。音声メディアは自分の感情がモロに出ます。ニュアンスや心情など文字では伝えきれないものを出すことができます。私自身、長い間文章を書いてますが、当然誤解も多くされてきました。別でやっているアイドルについてのブログでは、拒否反応がえげつないことを認識しています。しかし、文字にしてあること全てが本心ではありません。出来る限り自分の思っていることを伝えるためには、文字メディアを補完するような存在が必要になります。それがツイキャスなのです。

自分のツイキャスは時事ネタや芸能ネタ、アイドルやスポーツ、競馬など多岐にわたる話題が出てきます。Twitterのフォロワーさん自体、PerfumeファンやSKE、HKTファン、ベイスターズファン、競馬好きなどなど多くいるので、どこで食いつくかはその日にならないとわかりません。中には、自分の下衆な下ネタが好きだという人もいます。ロンブーの田村淳が、ラジオの書き起こしに怒るように、自分も書き起こしされては困ることしか言ってません。主に下ネタなんですが。たまにはマジメなことも言いますし、相談があるのならそれにも答えます。ただそれだけではこの人いい人なんだと思われるので、ぶっ壊しにかかります。ツイキャスの中だけでなく、実生活でもいい人扱いされたらどこかでやっぱりダメな人だと思われるようなことをしてしまいます。おかしなやつだなと自分でも思いますが、この傾向は続くでしょう。

ツイキャスをやっていて衝撃的だったのは、突然の乱入者です。コラボ配信機能は1つの枠で最大6人がおしゃべりできる機能ですが、ある人がキャスをやっていて自分がコラボ相手として参加しているときに、突然歌を歌わせろと言って見ず知らずの男性がコラボを希望してきました。面白そうだったので許可したところ、モノマネをやったり歌を歌ったり身の上話を聞かされたり、30分乱入者に独占されました。コラボ主はダンマリに近い対応だったので、自分が終始トークの相手をしてましたが、人見知りなのによくできたなと自分でも驚いています。口先がうまく、話好きで聞いてるのも苦ではないので、スイッチさえ入れれば初対面でもどうってことないのですが、あくまで別人格。本来はこんなに喋れません。

仕事先、家族、友人、ネット上の付き合いでこうも人間が違う人もいないでしょう。家族の前ではこの手の話はしませんし、してるのがバレたら人生を全否定される勢いだと思います。仕事先では趣味1つで信用を失くす、もしくは認めてもらえることがあるため、こちらからは口にせず、相手の出方を見ます。友人にはバカな話しかしませんし、ネット上では全てのことを言うものの、プライベートなことは言わないようにしています。4つの顔を使い分けることで、今の自分が成り立っています。事件などで容疑者被疑者に対し、この人はマジメだ大人しい礼儀正しいという近所の人のコメントに隠れて、あいつは頭がおかしいとか変態過ぎて常軌を逸しているみたいなものまで出てきますが、誰しもあるのではないでしょうか。

いくつも顔があるのはその人に逃げ場が確保されていることの現れです。リアルでは想いを出せないからせめてネットでは理想の自分を演じることはいいことだと思います。声真似する人にしても、それをしたくなる気持ちはよくわかります。商売でやっている人もいるでしょうが、たいていはそこらへんの中高生です。彼らなりに毎日苦しい生活を過ごしているでしょう。そのために、ネットで発散しているのです。私は健全な行為だと思います。自分みたいに性欲で発散し、こじらせるよりかは断然マシです。声真似を嫌う人の気持ちも痛いほどわかります。ただ、リアルな世界でもネットでも否定される彼ら彼女らの気持ちまでは誰も考えません。ツイキャスを楽しくやる人もいれば、居場所を求めるためにやっている人もいる。本当に青少年のことを考える大人がいるのならツイキャスに行き、閲覧が数人の中高生のキャスをのぞき見することをおすすめします。行けば何かを感じ取るはずです。そのあとにでも自分のキャスに来て、狂気を感じ取っていただければ幸いです。

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佐村河内さんの一件をどう報道しているか、その点で見てみるとなんともみっともないことのように感じます。マスコミの多くがまんまと騙され、マスコミ自身が頭に来ているのはよくわかります。なぜ取り上げたのか、なぜあれだけ売れたのかを考えると、本当に曲が良かった、ただそれだけというのがどれだけあるのか少々疑問に思います。こんなハンデを抱えているのに頑張っているんだ、いやぁすごいなぁという思いから取り上げたり、買ってみたりというケースが多いのでしょう。もっとえげつない心理が心の底にはあるんでしょうが、あえてそのことは書きません。

仮に佐村河内さんの診断結果が事実だとすれば、健常者に比べ非常に聞こえにくい状態であることに変わりはないそうです。静かな空間なら聞こえるかもしれないが、それでもきついと。この人は障害者手帳を持ってないから大丈夫なんだと認識してしまうのは少々乱暴であり、そのあたりは気をつけないといけません。そういう認識は何もこの人だけでなく、他の人へも向けられることがあります。この人はいかんけど、あの人はいいんだという分け方は、抱えてる障害どうこうというよりかは感情的な部分が影響を与える。もしその障害への理解があれば、人物本位で対応を変えるなんてことはありません。

自分は周りの人と同調したがらない性質を持っていることも関係しているんでしょうが、どうにも佐村河内さんを叩く気にはなりません。無論擁護する気もありませんが、そこまで熱を上げて対応すべき案件とも思えません。一方、この案件よりウクライナ情勢をもっと取り上げろという声もあるようですが、取り上げたところで何が伝わるんだろうかと。ウクライナ大変そうだというのは伝わるでしょうが、それ以上伝わるとも思えない。消費増税にしたって、お店も大変なんですよ色々と伝える程度しかやりません。結局のところ、どのニュースを取り上げたって同じであり、あとは鮮度の問題で扱いがどう変わるかというだけ。そもそもマスコミに何を期待しているんでしょうな。

政治に期待することもないし、そもそも他人に期待することもない。期待されることも当然ない。期待されるのは大きなお世話。期待するなら裏切られてもしゃあないと思う気持ちでいればいいのですが、たいてい裏切られたら多くの人が怒ります。期待した自分に怒ってるのか、期待させやがってと怒っているのか。自分への怒りなら大いに結構ですが、後者であれば知らんわと。期待することはないと書いた自分ですが、そりゃ期待する場面はあります。かといって、裏切られても自分はしゃあないと思います。縁がなかったんだなと思います。

騙されたのがそんなにむかつくなら訴訟でも起こせばいいだけの話ですが、なかなか現れないでしょうな。とにかく言えるのは、その人のバックボーンで応援するしないを決めてはいかんということです。人間性がどんなもんか、時間をかけて応援するしないを決めればいい。時間をかけたら応援すべき人かどうかはおのずとわかるはずです。それでも見分けつかないときはある。その時はしゃあないと思うしかないんです。

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