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佐村河内さんの一件をどう報道しているか、その点で見てみるとなんともみっともないことのように感じます。マスコミの多くがまんまと騙され、マスコミ自身が頭に来ているのはよくわかります。なぜ取り上げたのか、なぜあれだけ売れたのかを考えると、本当に曲が良かった、ただそれだけというのがどれだけあるのか少々疑問に思います。こんなハンデを抱えているのに頑張っているんだ、いやぁすごいなぁという思いから取り上げたり、買ってみたりというケースが多いのでしょう。もっとえげつない心理が心の底にはあるんでしょうが、あえてそのことは書きません。
仮に佐村河内さんの診断結果が事実だとすれば、健常者に比べ非常に聞こえにくい状態であることに変わりはないそうです。静かな空間なら聞こえるかもしれないが、それでもきついと。この人は障害者手帳を持ってないから大丈夫なんだと認識してしまうのは少々乱暴であり、そのあたりは気をつけないといけません。そういう認識は何もこの人だけでなく、他の人へも向けられることがあります。この人はいかんけど、あの人はいいんだという分け方は、抱えてる障害どうこうというよりかは感情的な部分が影響を与える。もしその障害への理解があれば、人物本位で対応を変えるなんてことはありません。
自分は周りの人と同調したがらない性質を持っていることも関係しているんでしょうが、どうにも佐村河内さんを叩く気にはなりません。無論擁護する気もありませんが、そこまで熱を上げて対応すべき案件とも思えません。一方、この案件よりウクライナ情勢をもっと取り上げろという声もあるようですが、取り上げたところで何が伝わるんだろうかと。ウクライナ大変そうだというのは伝わるでしょうが、それ以上伝わるとも思えない。消費増税にしたって、お店も大変なんですよ色々と伝える程度しかやりません。結局のところ、どのニュースを取り上げたって同じであり、あとは鮮度の問題で扱いがどう変わるかというだけ。そもそもマスコミに何を期待しているんでしょうな。
政治に期待することもないし、そもそも他人に期待することもない。期待されることも当然ない。期待されるのは大きなお世話。期待するなら裏切られてもしゃあないと思う気持ちでいればいいのですが、たいてい裏切られたら多くの人が怒ります。期待した自分に怒ってるのか、期待させやがってと怒っているのか。自分への怒りなら大いに結構ですが、後者であれば知らんわと。期待することはないと書いた自分ですが、そりゃ期待する場面はあります。かといって、裏切られても自分はしゃあないと思います。縁がなかったんだなと思います。
騙されたのがそんなにむかつくなら訴訟でも起こせばいいだけの話ですが、なかなか現れないでしょうな。とにかく言えるのは、その人のバックボーンで応援するしないを決めてはいかんということです。人間性がどんなもんか、時間をかけて応援するしないを決めればいい。時間をかけたら応援すべき人かどうかはおのずとわかるはずです。それでも見分けつかないときはある。その時はしゃあないと思うしかないんです。