[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
浜松日体のバレー部顧問が2年生部員に対し、10数発の平手打ちをやり、その様子が動画に撮られ、ネットに流され、体罰ではないかということで問題になっています。どこでもやってるだろ?とは思っているので、特段驚くこともなく、このニュースを見ています。そして、浜松日体関係者からの擁護の声。これを見ても、そりゃそう思うわなとしか思いません。理由なく体罰をやるような人じゃない、根はいい人だ、やさしい先生だ、そのような意見が出てくるのは体育会系ならではだなと思います。
桜宮高校の時でも同じような現象があったので、おそらくどこの学校の部活動で今回みたいなことが起こったとしても、先生は悪くないんだ、関係ない奴が口をはさむな!みたいな意見が噴出するのは当然といえば当然。では、なぜそんな意見が出てくるのか。1つは指導していただいた先生への素直な感謝からくる感情なんでしょう。先生のおかげで今の自分がありますみたいな言葉を散々見かけました。愛情をもって先生は接してくださったという気持ちを持っていなければ、殴られた行為を肯定するなんてできません。やってる行為は暴行であり、流血騒ぎとなれば傷害です。普段、そんなことされて、いやぁ俺が悪いなんてこと言う人はいません。先生は俺たちを強くしてくれるためにやってくれているんだというものがあるから、体罰を認め、部外者は言わんといてくれみたいな意見が多くなるんでしょう。
あとはそんな先生に育てられた自分が可愛いというのもあるはずです。学生時代のことは美化されるので、いい思い出となって神聖なものになっているのでしょう。だから、体罰なんて最低だみたいな意見にかみつく。しかし、そんなことを理解してくれるのは残念ながら多数派ではありません。マスコミで擁護の声を取り上げてくれという意見がありましたが、もしそんなことしたら逆効果で、もっと傷つくことになるはずです。基本的にただの暴力行為ですから。そのような行為を肯定したのなら、じゃあ愛情を持てば殴る蹴るの暴行を働いても許されるのかという話になります。
指導者は、自身が描く青写真と同じものを生徒に想像してもらうのが仕事です。要するに目的を全員が共有し、ベクトルを合わせること、これが指導者の役目です。では、そのために何をして強化していくのか、これも生徒に理解してもらいながらやっていかなければなりません。それが完全に徹底されていたのなら、おそらく体罰が行われていたとしても、告発の声は上がりません。
中途半端だったからこそ、このようなことが起きた。自分はそう考えます。前にも書きましたが、それを怠っていたという点においてこの顧問は多少の制裁は受けなければなりません。人を殴れば普通は警察のお世話になってしまいます。それが許されるのは指導という名目があるからです。その名目をないがしろにしているのであれば、しかるべき処分は受けなければなりません。体罰は生徒の受忍あってのものであることを、指導者は肝に銘じるべきです。それを指導者自身が正当化してしまうのはあってはならない。手を上げるのはやりたくない、しかしやむを得ないことで、今でもそれが正しかったか悩むぐらいがいいんだと思います。
体罰はある意味賭けです。どっちに転ぶかわかりません。勝つ確率の高い賭けですが、負けた時のダメージのでかさをもう少し指導者は考えるべきです。今回の先生もいい先生なんだとは思います。そのあたりは関係者の気持ちも汲みたい。ただ、先生は賭けに負けてしまった。負けてしまった人間が叩かれるのは悔しいと思いますが、これが現実であり、誰もが通る道です。そこで今までを振り返ってフィードバックできるか。ピンチでありチャンス。それを考える余裕が今この先生にあるのでしょうかね。