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今日は体育の日ですが、体育祭での演目によってはケガをするものがあるようで、大阪では10段のピラミッドで多くの生徒がケガをし、ムカデ競走では全国で毎年2000人ケガをしているのだとか。ムカデ競走での事故を減らすために、20人以上でやる時は結ぶヒモを少人数でまとめようとか、ヒモを伸縮自在にしようとか、そういう実験をしているところがあるとのこと。なぜそこまでしてムカデ競走をやらなあかんのかという話です。どんだけヒモを改良しようとも、走るわけですからそりゃ転ぶ確率は増えますし、前の人が煽りを受けるのは当然です。組体操は百歩譲って分かります。結束を強めようという意図があるのですから。ムカデ競走で結束が強まるのなら、大人になってからも定期的にやらせればいいんじゃないですか?会社のレクリエーションで運動会をやる企業が最近また出てきているようなので、あるっちゃある話ではあります。
私の話ですが、自分が所属する組が優勝し、応援団長を胴上げしに行く最中、一気に人が集まったからか、将棋倒しが発生し、自分も巻き込まれました。浮かれているとこういったことはありがちで、例えば餅まきとか、バーゲンとかよくこういった光景は見られます。自分も巻き込まれ、すごい痛い想いをしました。それもそのはず、クラス一のデブが自分に覆いかぶさってきたわけで。ちょっとした密集で発生した将棋倒しですらこうなんですから、スピードを出して足の自由が利かない以上、当然事故のリスクは高まります。これで後遺症が残るケースも出てきています。体育祭の意義をもう少し考えてほしいですし、学校の授業を潰して体育祭の段取りの練習をすることのアホらしさにそろそろ誰か声を上げてほしい。大阪維新の会あたりに言えばやってくれるんでしょうかね。ツイート
ラグビーワールドカップ。サモア戦を見ていましたが、完勝と言ってもいい出来でした。相手が自滅してくれたというのもありますが、効果的にポイントを重ねる、エディー・ジョーンズヘッドコーチいうところのジャブが決まった試合ではなかったでしょうか。前のスコットランド戦では日本がミスを繰り返し、流れを相手に譲る展開が続きました。しかし、同じ轍は二度踏まない日本。ミスというミスが前半ほぼ見られなかったのは素晴らしかったです。ボーナスポイントの獲得こそなりませんでしたが、それは贅沢というものです。あとはスコットランドと南アフリカの展開次第ですが、とりあえずベスト8の明暗を分ける試合を勝てたのは大きいですし、ラグビー界にとってもまた1つ追い風の吹く試合だったのではないでしょうか。
今日は短めです。たまにはね。ツイート
今日からラグビーのワールドカップが始まりました。毎回楽しみに見てるというと、少しウソになりますが、ラグビー自体は父親の影響で多少好きです。大学ラグビーしか見ませんが、秩父宮で1度くらいは見たかったなと思っています。2007年のワールドカップではペナルティキックを決めて、劇的な引き分けというのを動画などで何度も見ました。ラグビーの場合、アディッショナルタイムを過ぎても、最後のプレーが途切れなければ続きます。日本は最後の猛攻を仕掛け、相手のカナダの陣地に向かって何度も何度もアタックします。トライを決めた後のキックはトライをした地点の後方で行うため、ど真ん中が一番いいのですが、当然相手もわかるのでなかなか真ん中でトライさせようとはしません。横に横に何がなんでもトライするぞという執念が勝り、かなり端の方でトライを決め、かなり角度のあるキックも決め引き分け。その引き分けですら感動的ですから24年ぶりのワールドカップでの勝利は相当でしょう。
2019年は日本での開催ですが、すでにケチがついた格好になりました。元々2019年のラグビーワールドカップに間に合わせようという名目で新国立競技場の計画が持ち上がり、そこにオリンピックが乗っかったことで色々な騒動に巻き込まれていきました。ラグビー協会の会長がオリンピックの組織委員会の委員長というなんとも面倒くさい状況も拍車をかけました。一時は南アフリカなどでの代替開催も噂されましたが、それはどうやら避けられそう。しかし、新国立競技場ありきの計画が崩れた今、ワールドカップのお金を見込んでいた協会側は計画の見直しを迫られています。東京オリンピックにおける7人制ラグビー会場でもある味の素スタジアムが有力ではないかと言われていますが、果たしてどうでしょうか。ちなみに車で行くと大変な混雑ぶり。東京競馬場まで車で行き、その帰り、サッカーの試合がバッティングし、結果えらい時間がかかるという目に遭いました。そもそも秩父宮でやればいいじゃんという話ですが、もう壊されるんですよね。こういう時はすぐ壊しちゃうのよね、本当ツイート
大相撲春場所が昨日終わりました。白鵬は盤石の一言。朝青龍も名横綱でしたが、朝青龍の強さと白鵬の強さは違って、前者は格闘技としての強さ、後者は相撲としての強さです。朝青龍に長く続いた大相撲への尊敬を感じず、あくまで格闘技としての相撲では強かった。これはこれでいいんですけどね。白鵬の相撲は一寸の隙すら与えないもので、与えたとしてもすぐに修正してしまう。横綱としてあるべき姿を土俵上で見せていると思います。一方の日馬富士。ここ最近では珍しい安定感に欠けた横綱ですな。丁半どちらかという内容ではいけません。安定感のある強さが求められるので、金星を3つも献上するようではまだ横綱としては不十分です。早々に優勝戦線から脱落してしまうのはふがいないと言われても擁護できません。
そんな中、2年前の八百長騒動で関与したとして解雇処分を受けた元幕内の蒼国来が、協会を相手取り、力士としての地位確認などを求めた裁判を起こし、裁判所が解雇無効とする判決を出しました。要するに八百長はなかったし、引退勧告が出された後に引退届を出さなかったので解雇というのは手続きの上で違法だった、ゆえに解雇は不当であると。このことが何を意味するか。せっかく沈静化した八百長騒動がまたぶり返すことになるのです。あの調査は本当にしっかりなされたものだったのか、そして相手側の言い分だけを聞いて処分を行っていたのではないか。いかにずさんだったか。
おそらく協会は蒼国来を幕内で復帰させようとは思っていないはずです。普通の職場ならすいませんでした、元いた部署でやらせますとなり、居づらいながらも前いた部署に戻れます。しかし、スポーツにとって2年間もブランクがあるというのは、下手すれば致命傷です。いくら練習していたとはいえ、練習と実戦はまるで違います。そういう点でも復帰させるのは嫌だろうし、自らの過ち、ずさんな調査を協会が素直に認めるとはどうにも思えません。伝統に縛られた組織は間違いをなかなか認めず、己の腹を割いて膿を出すことをしようとはしません。全柔連にも言える話ですが、完全な第三者がしっかりした調査をしたとして、その判断を当事者に任せるなんてのはあまりにナンセンスであり、それでは膿など出すことはできません。本当に体質が変わったというのであれば、速やかに蒼国来に対し、理事長直々に謝罪をし、2年分の給与を支払い、夏場所から幕内で相撲をとらせることです。
人間というものは自らの過ちを反省し、謝罪することを苦とします。あーごめんごめんと謝る人もいますが、あーごめんごめんに反省を感じるでしょうか。心底反省し、その思いが伝わらない限り、それを謝罪とは言いません。あーごめんごめんと言って謝罪をした気分でいる人に対し、それでは謝罪になってないと言えば、ほぼ高い確率で逆ギレされます。常日頃、何も考えていないから、そこまで深く物事を考えずに言ってしまう。そして、プライドが高くなればなるほど、現状から逃げ出そうとします。今回でいうなら確実に控訴をし、逆転することを願うでしょう。それが叶わなかった時の無様さなんておかまいなし。見苦しいと思われても守りたいものがある。本人はそれだけの価値だと思っているのでしょう。でも、人から見れば大したものではないんですけどね。
全柔連にも言えます。己が可愛いんでしょうね。ストイックであれば第三者委員会に調査させ、それを聞いたうえで執行部が留任というのはしないはずです。2020年夏のオリンピック招致という大事な時期に、国技である柔道界がこんなしょうもないことをしている。なぜ、もっと日本人は怒らないのだろう。組織は必ず腐ります。腐らないようにするために組織では異動が行われます。同じ場所に居つくから癒着が起こる。それを防ぐのは異動しかありません。いろんなところに営業所がある会社ならそれでいいのですが、スポーツ界において異動なんてことはなかなかありえません。相撲でいえば春場所担当から九州場所担当になるようなもんですが、だいぶ限られます。ゆえにスポーツ界の組織は基本的に腐ります。一時期のスケート連盟がまさにそうでした。相撲界における第三者委員会は横綱審議委員会ですが、あんなもんは理事長の茶飲み友達の集まり。好き勝手言ってさよならの人たちです。
変化を拒み、忠告を聞かずに排除する人間は消えればいい。いや、消えていく運命にある。もし本当にその組織を守りたいのであれば、自らが犠牲となって膿を取り除くことです。その覚悟が全柔連にも日本相撲協会にもあるだろうか。他の組織にも言える話です。己が可愛いばかりに何もせず、その組織が消えていくことに対し、何も思わないことこそがとても怖いことだと思います。まぁ動物というのは自分が一番可愛いですから。仕方のないことです。自分もそうですから。割きたくもない腹を割ける人はすごいと思います。自分の恥部を出すなんてなかなかできません。でも、それこそが一番大切なんです。それができるかできないか。プライドなんてしょうもないものに価値はありません。浄化する際に一時でも恥部をさらけ出す行為、
このことに価値がある。その行為が仮に無様であっても長い目で見れば無様でもなんでもありません。それができるリーダーに私はついていきたいと思います。なかなかいないので、いたら教えてください。
オリンピックも始まり、オンタイムの深夜に多くの人が次の日を犠牲にしてまで、日本選手の活躍を見守る日々。自分もその1人です。いまのところ金メダルは1個。しかも、決まり方が相手の反則というなんともすっきりしない結果。ただ、そんなことも言ってられないくらい金メダルがとれない。ただ、よく考えてみれば北京での金メダルはみんな連覇だったんですよね。アテネと北京で連覇。北島もそうですし、罪を犯してしまった柔道家も解説者としてご活躍の古賀の弟子もみんな連覇。レスリングもそう。あとは勘違い柔道家と除外を食らったソフトボール。そう思うと、北京と比べること自体ナンセンスなんですな。
事実、メダルの枚数だけでは3位ですから。女子アーチェリー、女子重量挙げで史上初のメダル、競泳も目標の半分の4枚を獲得してる。決して内容は悪くないし、多様な競技でメダルをとることはとてもすばらしい。結局柔道で金がとれるかとれないかにすべてがかかるシステムなんですよね。その柔道で完全にJUDOへの対応ができていない。いまだに一本にこだわったり、ポイント柔道を悪と思う姿勢が残ってる。強ければ関係ないなんて考えは思考停止状態であり、それじゃ強化も何もないわと。お家芸だから金でなければならないなんてことはないんですね。自分が柔道嫌いだからそういうことを思うのかもしれません。柔道をやってる人はそりゃ金がいいに決まってる。決まってるが、なんだかねと。きれいな柔道をやって金メダルを逃すのを認めるか、汚い柔道をやってでもメダルをとりにいくのをよしとするか。ほかの国の柔道はひどいですよ。柔道なのか格闘技なのか。指導で勝つなんて面白いわけがない。そのレベルに落として戦うのは認められないのはわかってるけど、そこまでして金メダルをとりにいけというのが筋だと思う。結果にこだわるならば。強い人はプロセスにこだわればいいが、今の日本の柔道にそんな余裕はないはず。王者の柔道をする必要はないんですね。
あとは審判に関する話が多いですな。バンザイなしよはどこの場であれやっちゃいけません。学校であれをやったら、教師への信頼ゼロ、生徒だったらケンカですよ。威厳なんてあったもんじゃないし、じゃあ誰が審判なのよという話。ビデオ判定は決して悪ではない。あくまで補助的でないといけないというやつです。体操だって日本は危うくメダルを逃すところだったし、本来は4位だったウクライナにぬか喜びをさせてしまい、開催国イギリスのマスコミから内村にうちが銅メダルになってどうこうと聞かれたり、各所で迷惑を与えてしまった審判。あとは柔道の一件。俺は日本嫌いだから判定では旗を上げないと公言する審判をそもそもなぜ日本の選手の試合にぶつけたのか。技の判定はあっさり変更されるし、誰が審判なんだか当事者はわからなくなるし、どんどん適当になる。ビデオ判定のきっかけを作ったのは、とある全日本の監督兼バラエティタレント。あれは確かにひどかったのでこういうことになったと。それはいいんですよ。ビデオ判定を絶対的なものにしてはいけないだけで。
野球のボールストライクの判定をビデオ判定にするようなものですからね。じゃあアンパイアの仕事って何?となりますから。そんなんでいちいち止められたら面白くない。野球は野球で審判のアホさに辟易してるのでこれくらいやってもいいとは思いますが、こと柔道においてはそんなビデオ判定を多用する競技ではないですから。あんなの審判の主観ですから。明確な基準がないですから。そんなスポーツにビデオ判定をフルに使うのはどうなんでしょうな。