[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
大相撲春場所が昨日終わりました。白鵬は盤石の一言。朝青龍も名横綱でしたが、朝青龍の強さと白鵬の強さは違って、前者は格闘技としての強さ、後者は相撲としての強さです。朝青龍に長く続いた大相撲への尊敬を感じず、あくまで格闘技としての相撲では強かった。これはこれでいいんですけどね。白鵬の相撲は一寸の隙すら与えないもので、与えたとしてもすぐに修正してしまう。横綱としてあるべき姿を土俵上で見せていると思います。一方の日馬富士。ここ最近では珍しい安定感に欠けた横綱ですな。丁半どちらかという内容ではいけません。安定感のある強さが求められるので、金星を3つも献上するようではまだ横綱としては不十分です。早々に優勝戦線から脱落してしまうのはふがいないと言われても擁護できません。
そんな中、2年前の八百長騒動で関与したとして解雇処分を受けた元幕内の蒼国来が、協会を相手取り、力士としての地位確認などを求めた裁判を起こし、裁判所が解雇無効とする判決を出しました。要するに八百長はなかったし、引退勧告が出された後に引退届を出さなかったので解雇というのは手続きの上で違法だった、ゆえに解雇は不当であると。このことが何を意味するか。せっかく沈静化した八百長騒動がまたぶり返すことになるのです。あの調査は本当にしっかりなされたものだったのか、そして相手側の言い分だけを聞いて処分を行っていたのではないか。いかにずさんだったか。
おそらく協会は蒼国来を幕内で復帰させようとは思っていないはずです。普通の職場ならすいませんでした、元いた部署でやらせますとなり、居づらいながらも前いた部署に戻れます。しかし、スポーツにとって2年間もブランクがあるというのは、下手すれば致命傷です。いくら練習していたとはいえ、練習と実戦はまるで違います。そういう点でも復帰させるのは嫌だろうし、自らの過ち、ずさんな調査を協会が素直に認めるとはどうにも思えません。伝統に縛られた組織は間違いをなかなか認めず、己の腹を割いて膿を出すことをしようとはしません。全柔連にも言える話ですが、完全な第三者がしっかりした調査をしたとして、その判断を当事者に任せるなんてのはあまりにナンセンスであり、それでは膿など出すことはできません。本当に体質が変わったというのであれば、速やかに蒼国来に対し、理事長直々に謝罪をし、2年分の給与を支払い、夏場所から幕内で相撲をとらせることです。
人間というものは自らの過ちを反省し、謝罪することを苦とします。あーごめんごめんと謝る人もいますが、あーごめんごめんに反省を感じるでしょうか。心底反省し、その思いが伝わらない限り、それを謝罪とは言いません。あーごめんごめんと言って謝罪をした気分でいる人に対し、それでは謝罪になってないと言えば、ほぼ高い確率で逆ギレされます。常日頃、何も考えていないから、そこまで深く物事を考えずに言ってしまう。そして、プライドが高くなればなるほど、現状から逃げ出そうとします。今回でいうなら確実に控訴をし、逆転することを願うでしょう。それが叶わなかった時の無様さなんておかまいなし。見苦しいと思われても守りたいものがある。本人はそれだけの価値だと思っているのでしょう。でも、人から見れば大したものではないんですけどね。
全柔連にも言えます。己が可愛いんでしょうね。ストイックであれば第三者委員会に調査させ、それを聞いたうえで執行部が留任というのはしないはずです。2020年夏のオリンピック招致という大事な時期に、国技である柔道界がこんなしょうもないことをしている。なぜ、もっと日本人は怒らないのだろう。組織は必ず腐ります。腐らないようにするために組織では異動が行われます。同じ場所に居つくから癒着が起こる。それを防ぐのは異動しかありません。いろんなところに営業所がある会社ならそれでいいのですが、スポーツ界において異動なんてことはなかなかありえません。相撲でいえば春場所担当から九州場所担当になるようなもんですが、だいぶ限られます。ゆえにスポーツ界の組織は基本的に腐ります。一時期のスケート連盟がまさにそうでした。相撲界における第三者委員会は横綱審議委員会ですが、あんなもんは理事長の茶飲み友達の集まり。好き勝手言ってさよならの人たちです。
変化を拒み、忠告を聞かずに排除する人間は消えればいい。いや、消えていく運命にある。もし本当にその組織を守りたいのであれば、自らが犠牲となって膿を取り除くことです。その覚悟が全柔連にも日本相撲協会にもあるだろうか。他の組織にも言える話です。己が可愛いばかりに何もせず、その組織が消えていくことに対し、何も思わないことこそがとても怖いことだと思います。まぁ動物というのは自分が一番可愛いですから。仕方のないことです。自分もそうですから。割きたくもない腹を割ける人はすごいと思います。自分の恥部を出すなんてなかなかできません。でも、それこそが一番大切なんです。それができるかできないか。プライドなんてしょうもないものに価値はありません。浄化する際に一時でも恥部をさらけ出す行為、
このことに価値がある。その行為が仮に無様であっても長い目で見れば無様でもなんでもありません。それができるリーダーに私はついていきたいと思います。なかなかいないので、いたら教えてください。
自分が受けた体罰ってなんだろうかと思い返してみると、意外とないんですよね。ゴツンとやられたことがあるぐらいです。かといって、そんな恵まれた場所にいたかといえばそうではなく、体育の時間に先生の足元で、ぺちゃくちゃ喋っていた生徒を引きずりまわすという光景を見ました。うちの中学校は「自称」名門校で、不良が1人もいなかったです。そこらへんの公立なのにね。要は体罰をやる教師を数多く揃え、恐怖政治をやっていたんですな。本当に下らない3年間でした。
体罰に正しいもなにもないと思うのですが、どなたかがおっしゃる「正しい体罰」というのは、失敗したから殴るという行為では萎縮してしまい、自己肯定感を失わせるから、普段から褒めるなり、なぜ体罰をしたか理由をしっかりしておくこと、まっすぐに育ってもらいたいという親の思いを伝えることが大切だそうです。
人間というのは不思議なもので、自分に施してもらったことは相手にもしてあげようと思ってしまいます。自分はこうして育ってきた、だから自分もと思う。「正しい体罰」なるものを実践し、成功されたご家庭はごく一部だと思いますし、そのご家庭で成長された子供が親となった時、同じことをしたらその子供は成功するかといえばこれまたごく一部にとどまるでしょう。そして、そのごく一部で育ったロイヤルファミリーを教科書として世間に広められた日には、子供にすればただただ地獄です。ただの天然記念物なんですから。
外で言葉遣いの悪い幼児、異性に対して侮蔑感を持って接する子供を見ると、この家庭は不幸だなぁと思います。子供は突然変異でそうはなりません。日ごろの積み重ねです。普段接する大人は親ぐらいなものです。子供は自分を投影する鏡。こんな子供にしたつもりはないというのであれば悪いのは親です。人前でそんな言葉遣いはいけませんとよく子供を注意する親を見かけますが、子供にすれば人前も茶の間も同じです。人前でちゃんとした言葉遣いにするには日ごろから乱暴な言葉を使わなければいいだけの話です。そこまでコントロールできないのであれば、どう育ったっていいじゃんと思うんですね。適当に育てて適当に育つ。これで済む。ところが、人というのは世間体を気にしますから、適当に育てることしかしないで、まっすぐに成長してもらいたいと思う。一貫性がないんですね。すべてが場当たり的。考えが適当だからムッとしたら罵声を浴びせる、腹が立ったら子供にあたる。
愛情を注ぐのも難しいですけどね。なんでも買い与えることが愛情かといえば違いますから。子供の時の愛情の受け方でその後の人生での恋愛観結婚観が築かれると思っているので、ここは本当に考えないといけません。自分みたいにゆがんだ愛情で育つと、愛に飢え、他人にはゆがんだ表現で愛情を出してしまいます。自分はおそらく結婚しちゃいけない人間なのです。そもそも結婚以前の問題ですけどね。
前にmixiやTwitterではないSNSに参加していたときに、この手のことを書いたら、子育てされている主婦の方にお前に何がわかるのかというコメントを書かれたことがあります。その時は高校生でしたので、こういうヒステリック起こすようなやつがお母さんじゃ子供も可哀そうだと思ってました。今思うと、それは違ってたんですね。だいたいそんな余裕あるわけないじゃん。家事で精いっぱいなのに子供の将来の人格形成までに頭が回るわけないんですよね。なので、今自分が書いていることも結果的にはただの理想論。生きていくだけで精いっぱい。ひょっとしたらその姿を包み隠さず見せることが子供の教育にいいのかもしれません。
しかし、これだけは言えます。体罰で育った人間は必ず体罰に縛られる。体罰を多用するか異常に拒否するか。いずれにしても、いい結果には結び付きません。自分の中から出てきた感情は自分で処理してください。もしそれができないのなら、誰かに相談してください。もしそういう人がいないのであれば、ブログでその感情を出してみてください。子供は必ず親の行動をマネます。大変だとは思いますが、親御さんが子供の見本になってあげてください。
自分は芸人さんに対するリスペクトというのを一定の度合いで持ってまして、普通の人にはできない仕事だなぁと思っております。一般人はあんなもん誰でもできると思って芸人さんを見てますけど、じゃあお前やってみろと。自分なんかはいじられキャラ扱いされるため、芸人のようなリアクションを求められ、それに応えていますが、見合う対価がなきゃやってられない仕事だなと思っています。
一定の度合いでの尊敬というのは何も芸人に限ったことではなく、すべての業種に対して思います。それは政治家だろうとスポーツ選手だろうとサラリーマンだろうと同じです。職業に上も下もありません。それでご飯を食べているということに変わりないのですから。すごい部分はどの職業にだってある。一方で嫌な部分もある。トータルすればどの職業だって同じになるはずです。憧れるのは自分にはない部分を兼ね備えているから。世界が変われば見える世界も変わるし、思うことも変わる。だから、自分はどの職業の方に対してもだいたい同じような感想しか持ちません。
本題に入りましょう。アイドルと芸人が共演する番組は数多くあります。その中でつまらないことを言った芸人に対し、つまらないと言ってしまうアイドルをよく見かけます。芸人にとってつまらないというのは致命傷だと思われそうですが、誰かを引き立てるという役目の場合もありますから、つまらないことしか言わないからこの人は面白くないと判断するのはどうかなと思ってます。面白くないと言ってしまうアイドルの大半は芸人をリスペクトしていません。それは芸人側からアイドルに対し、お前可愛くないな、スタイル悪いなと言ってるのとなんら変わりありません。もちろん、この「面白くない」「可愛くない」には愛情表現で使われる場合もあります。しかし、たいていの場合は相手を下に見てるときに出てきます。
自分は芸人のことを見下げ、つまらないと言ってしまうアイドルをたくさん見てきましたが、長続きしてる人を見たことがありません。最初は毒舌だねぇと言われるでしょう。でも、最終的にはそいつの放った矢が直接そいつに向ってきます。その矢から逃げるには安全地帯を作るしかありません。その安全地帯に入り込めるのは、武器を備えた人だけです。例えば、神田うのはつまらないと言ってしまう、まさに典型ですが、ファッションという武器を持っています。持っていたからこそ、唯我独尊ながらもここまでやってこれたし、今後もそのポジションは誇示するでしょう。和田アキ子もそうです。あの人には歌という武器があります。高橋英樹にしても梅宮辰夫にしても、お前に言われたかないよという人にだって演技という武器がある。武器のない人で毒舌キャラを続けられている人、私は知りません。
アイドルが毒舌でも成立するのは、可愛さ、スタイル、若さが武器となっているからです。これがなくなればただの人です。アイドルは文字通り偶像。偶像ということはいつかは消えます。48グループを応援していると、この人は武器がないなぁという人を数多く見かけます。秋元康は、AKB48はあくまでショーケースだという表現をしています。ショーケースに入ることでゴールだと思っているのはマネキンしかいません。そのマネキンがどうも多い気がします。特に東寄りにおいて。武器のない人間が相手を攻撃する。そりゃすぐにやられて死んでしまいます。秋元才加がAKBの若いメンバーは甘いと発言するのもわかる気がします。可愛さ以外の武器を持っているのかどうか。持ってもいないのに攻撃するなんてのは自殺行為です。
最近自分はHKT48を応援することに決めたのですが、その中にもつまらないと言ってしまうアイドルが見られます。村重杏奈もその1人ですが、彼女はアクターズスクール広島出身なので武器がないということはありません。あのキャラならば卒業したとしても一定の期間やれるはずです。ただ、全国区になりえる武器ではない。それはもう事務所に入るしかありません。松井玲奈も高柳明音も事務所に入ってるから外仕事が回ってきてます。最初のうちは知名度がなくても、数をこなせば自然と全国区に近づきます。無論、結果を出せばの話ですが。事務所に入るにはポテンシャル、伸びしろを見せなければいけません。SKEですら、今現在事務所に入ってるのは2人だけ。NMBのように吉本がバックにいるケースは別にして、AKSとして個々の売り出しはしないはずです。自らが注目を集めさせ、結果を出して界隈の評価を上げる。ショーケースから抜け出すにはそれしかありません。
なので、あの芸人といるときは光ってるなぁと思われることが一番近道でしょう。芸人がいじりたくなるアイドルは高確率で有名になります。芸人が頼りにするアイドルも同じです。このことからも、つまらないと評価するのは自殺行為だと言えるでしょう。つまらないと言っても大丈夫なのは一芸を持つ人間だけです。アイドルは産油国と同じです。資源がなくなれば見捨てられてしまいます。その前に何か築きあげないといけません。48グループでそこまでの人を探すのは至難の業です。限りある資源の中でどう財産を構築していくか。そこが48グループの生命線です。
日常生活にも言える話ですが、相手を見下げず、常にある程度のリスペクトを持てば幸せに生きられます。それが嫌なら自分を思い切り磨いて確かなものにすればいい。ささやかに生きるには前者で十分でしょう。相手の嫌な部分を指摘しあう世の中ですが、自らが幸せを手放す人があまりにも多すぎます。揚げ足取りをしない方が幸せに生きられる。揚げ足をとられたとしても、とられて転んでも無様ではありません。無様なのはとって転ばすアホです。本当にみっともない。それに多くの人が気づけばおのずとギスギスした空気も減るんですけどね。
いい時だけのニッポン放送らしい編成がまた行われるようで、伝統芸を見れてとてもうれしいです。ANNの2部にあたるメンバーが総入れ替え。金曜日にはAKBのことを語ることでおなじみの宇野さんが入ったり、芸人枠ではアルコ&ピースが入るなど、いい流れで来てそうな人をあてがう配置。火曜日にやられていたモテキの作者さんが1部に昇格、ダイノジの大谷さんが水曜1部など、明らかにJUNKを意識した配置。一時期のアーティスト路線はどこへやら。ANNGOLDには小島慶子さんを起用するなどここでも伝統芸。見事の一言ですな。
マイナビのニッポン放送のページに常に「時代の一番バッターを目指す」と書いてありました。要は先を行くということなんでしょう。切り込み隊長を目指すと。でも、ニッポン放送のやっていることは切り込んでいくというより、パリーグで活躍してた選手をFAで獲得する往年の巨人の4番なんですな。日ハムみたいに田中が抜けても西川がいる、陽がケガで下がっても浅沼が活躍するみたいなのが時代の一番バッターを目指すということではないのでしょうか。その点、TBSラジオは王者としての風格がある。それでいておごりがない。誰からか強奪するわけではありませんから。今回だってそんなに変わってませんからね。
時代の一番バッターを目指すというのは番組のことではないんだとは思います。思いますが、そちらに目を向けるばかり本業を怠っていないかと疑問に感じます。コンテンツ事業に力を入れるのは立派なことだと思います。新しいことにチャレンジする姿勢も否定しません。LF+Rなんてまさにそうでしたから。しかし、放送外収入を意識した活動がなんだか目立ち、肝心のスポンサーがつかないというのでは本末転倒ではないのかなと。昔は10社ぐらい提供スポンサーがあったように感じますが、今は3社程度。これじゃいかんですよ。
新しいことには参加してるでしょう。だけど、どこかお門違いな面がある。ラジオが大好きな人間が面白い番組を作るという精神が今のニッポン放送にはなく、金稼ぎのことしか頭にないし、それができる人材を集めているとすれば残念です。ホリエモンが2005年にやろうとしたことを自分たちが2013年にやってる。ホリエモンに素直に買収されていればチャンスがあったのにそれを自ら手放した。なんでホリエモンに反発したんだがわかりませんな。面白い番組作りができなくなると言い、とある有名人たちが出演拒否を表明、まったくもって理解不能なことになった。そして今、ホリエモンならすぐにやっていたであろうことを今やっている。この人たちは長期的な目で物事を見る能力に欠けているのだなと。それでよく時代の一番バッターを目指すと言えたもんだ。
家族が近くにいる中で下ネタの記事を書くというのは、勇気がいりますが逆にこれを見たお前が悪いということなのでよしとしましょう。性の目覚めは人より遅く、中学生時代はその発散方法を知らず、高校でそれを知った具合です。最初のころは着エロでもOKでしたが、段々と加速していき、バチェラーに行きつき、海外のサイトを漁る男になってしまいました。決して洋物が好きなわけではなく、たまたま見れるから。たまたま見れて刺激的だから。
日本ではこの手のサイトはそうありません。たいていはAVのサンプル的な感じです。なので、ソフトなものが多い。普通の人は絡みが見たいのでしょう。導入は早々にもう入れる入れないの展開。私みたいな変態になると、その導入が大事なんですな。そりゃ襲うように接触するよというシチュエーションがいいのであって、入れるためのアリバイみたいな導入の筋書きは正直見ていてつまらないです。AVの作品自体、非日常なのでそこにリアルさを求めてもしょうがないのですが、自分はそれを求める。
溶ける水着着せられてプール泳がされて、全裸になっちゃって、プールサイドを体を隠しながら小走りするシーンに、リアルさはありません。実際なら女性たちが駆け寄り、男性からの視線をブロックさせ係員がタオルを持ってこさせ、目に触れないようにさせます。溶ける水着で泳ぐバカもいませんけど、仮にいたとして障壁が除かれたとするならば、性欲を掻き立てる存在となりえます。そのあと襲われたシーンであっても入れてよしとGOサインを出します。
その場面となり、実際にとられる行動をなきものと仮定してそりゃ襲うよねと納得させられるシチュエーションであるかどうか。それが自分の中で動画を評価するにおいての基準になります。例えば、娘の友達がお風呂に入ってて、それに気付かず父親が脱衣所に入り鉢合わせというシーン。そもそも父親じゃ感情移入できないわけですが、そこで一発やるかと自分なんかは思うのです。目に焼き付けて自慰行為ですよ、普通は。だから、自分はシャワーを浴びてるところから体を拭いててドアあけられて体を隠すシーンしか見ません。そのあとは異次元の世界。こういうことを書いてる時点で頭おかしいんですが。
なので、初AVにおけるインタビューからの男優の絡み始めは見ていていいものではないです。実際なら何するんですか!やめてくださいと体をはらいます。撮影にあたって衣装を脱ぎましょうから入り、一枚ずつ脱がすと。クルっと回ってもらい、下から舐めまわすように撮影し、全身おさめると。それを見て耐えきれずに男優がむさぼるように襲うなら自然です。個人的に女優の全身全裸の写真を見るのが大好きです。しかも直立不動で。そういうのもあるんだと思います。自分でも気持ち悪いなと思います。
サンプル動画を見ていて、これはいいと思えるものは100本に1本ぐらいなもんです。そうなってくると飢えてしまうので色々漁るのですね。体験談系でも大丈夫なので、そういう点では読解力があってよかったなと思います。役に立ちます、国語力。知り合いが見たらドン引きでしょうが、それでいいです。