07年から今まで好き勝手に書いてきているブログです。消したい記事もたくさんありますが、文章の拙さ含めてお楽しみください。
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佐野研二郎さんが2020年東京オリンピックの公式エンブレムのデザインについて盗用が疑われたため、自らがエンブレムについて取り下げることで新たな展開を迎えることになりました。言い分を簡単に言えば、身に覚えのないことでごちゃごちゃ言われてるし、腹も立つがここまでの騒ぎになったのは自分の責任だからということでしょう。最初にケチがついた時、急いでベルギーに飛び、事情を説明しておけばよかったのではないかという意見に自分も賛同したいですが、一度ケチがつくと、それを巻き返すにはいくらかの出血覚悟で身を切らないといけません。対症療法でどうにかごまかす道を選べば、当然ネットユーザーはそこを突いてきます。佐野さんだけが悪いのではなく、組織委員会の皆さんやデザインを手直しさせた方々などこの構図、新国立競技場問題となんら変わらず、なんともアホらしい話です。
色んな方が指摘されているのは、デザイナー側の、黙って見てろよ的な態度が火に油を注いだ可能性があるということです。お前らみたいなデザインもできないダサいやつらに、俺らの気持ちなんかわかるかいぐらいのお気持ちは持ってらっしゃるとは思いますが、結局はその人たちもネットユーザー、いわばネット群衆の脅威を軽視したわけです。だから、黙って見とけ的な態度になってしまった。上からの目線とも言われますが、こういう目線が最も嫌われるのはどの立場の人でも同じです。知らないことを知ったように言うなと思いたくなる気持ちは当然とも言えますが、公然と言ってしまえば何が起きてしまうのか、考えないといけません。
黙って見とけという態度や発言は不必要なものです。それがなかったとしてもなんの支障もありませんし、言ったところで誰にも得がありません。それでも言ってしまうのはなぜか。日頃からの不満によるものだと自分では思っています。どの世界でも、知りもしないでごちゃごちゃ言いやがって!という場面はありますが、例えば順調な人だと、あははで済ませる人が多いでしょう。それだけ余裕があるということです。しかし、うまくいってない人だと、うるせぇわかっとるわ自分でも!と反発する気持ちが出てきます。当然の反応なので、こういう反応したから器が大きい小さいと区別する気はありません。
問題なのは、ネット群衆に一度マークされるとなかなか外されなくなるということです。最初は大きなことだったのに、段々小さくなり、最終的には重箱の隅をつつくようなものにまで指摘されるようになります。佐野さんの問題にしても、最初はエンブレムが似てるどうこうの話、そのあと、佐野さんのデザインは何かと似通っているという話、そしてトートバッグ、盗用を認めいくつか取り下げ、そしてこのエンブレムも似てるだなんだなどと分散しています。マークされ何もなければいいものの、何かあったら徹底的に追及される、それがネット群衆です。その感覚はバイト先でハメを外した高校生や大学生、通称バカッターをつるしあげるのとなんら変わりません。48グループでもこの人たちが新加入しますとなれば、その日のうちに恋人がいたかいないかがすぐに出てきます。むしろ、身辺調査をネットの人たちにやってもらえば安心とも言えますが。
大事なことは、黙って見とけと言う側、そして言われる側にも同じ事情があるということです。権力監視は大袈裟ですが、何も言わなきゃ組織がダメになると思ってる人は多いでしょう。そのために、あんたらおかしいだろ!と言ってしまいたくなるのが人情です。私も数多くのことを言っていますが、逆に黙って見とけと思う時もありました。自分が知ってるものについて、知らない人が興味もないくせに色々言いやがってと数えきれないほど思いました。誰しもが黙って見とけと思い、そして思われることを言っています。いわばガス抜きです。適度に言わせておいて、こちらがたまれば適度に言うというサイクルがいいのです。これを防ごうとするから、そのガスに火が引火し爆発を起こしてしまいます。不満は不満として処理しているうちが正常です。無視したり、嘲笑ったり、弾圧したり、そんなことをすれば必ずえらい目を見ることになる。多様性を認める気持ちがあれば、こんな意見もあるんだなぁと思えるようになるので、作ろうと思えば無限にある色のように、様々な色があるのだと思うようにし、黙って見とけという気持ちに向きあわなければなりません。そんなことを、特に大相撲の記事を書いてる時の自分に言い聞かせたいです。あと最後に、金親、なにやってんだよお前、いい加減にしろとガス抜きさせてください。ツイート
色んな方が指摘されているのは、デザイナー側の、黙って見てろよ的な態度が火に油を注いだ可能性があるということです。お前らみたいなデザインもできないダサいやつらに、俺らの気持ちなんかわかるかいぐらいのお気持ちは持ってらっしゃるとは思いますが、結局はその人たちもネットユーザー、いわばネット群衆の脅威を軽視したわけです。だから、黙って見とけ的な態度になってしまった。上からの目線とも言われますが、こういう目線が最も嫌われるのはどの立場の人でも同じです。知らないことを知ったように言うなと思いたくなる気持ちは当然とも言えますが、公然と言ってしまえば何が起きてしまうのか、考えないといけません。
黙って見とけという態度や発言は不必要なものです。それがなかったとしてもなんの支障もありませんし、言ったところで誰にも得がありません。それでも言ってしまうのはなぜか。日頃からの不満によるものだと自分では思っています。どの世界でも、知りもしないでごちゃごちゃ言いやがって!という場面はありますが、例えば順調な人だと、あははで済ませる人が多いでしょう。それだけ余裕があるということです。しかし、うまくいってない人だと、うるせぇわかっとるわ自分でも!と反発する気持ちが出てきます。当然の反応なので、こういう反応したから器が大きい小さいと区別する気はありません。
問題なのは、ネット群衆に一度マークされるとなかなか外されなくなるということです。最初は大きなことだったのに、段々小さくなり、最終的には重箱の隅をつつくようなものにまで指摘されるようになります。佐野さんの問題にしても、最初はエンブレムが似てるどうこうの話、そのあと、佐野さんのデザインは何かと似通っているという話、そしてトートバッグ、盗用を認めいくつか取り下げ、そしてこのエンブレムも似てるだなんだなどと分散しています。マークされ何もなければいいものの、何かあったら徹底的に追及される、それがネット群衆です。その感覚はバイト先でハメを外した高校生や大学生、通称バカッターをつるしあげるのとなんら変わりません。48グループでもこの人たちが新加入しますとなれば、その日のうちに恋人がいたかいないかがすぐに出てきます。むしろ、身辺調査をネットの人たちにやってもらえば安心とも言えますが。
大事なことは、黙って見とけと言う側、そして言われる側にも同じ事情があるということです。権力監視は大袈裟ですが、何も言わなきゃ組織がダメになると思ってる人は多いでしょう。そのために、あんたらおかしいだろ!と言ってしまいたくなるのが人情です。私も数多くのことを言っていますが、逆に黙って見とけと思う時もありました。自分が知ってるものについて、知らない人が興味もないくせに色々言いやがってと数えきれないほど思いました。誰しもが黙って見とけと思い、そして思われることを言っています。いわばガス抜きです。適度に言わせておいて、こちらがたまれば適度に言うというサイクルがいいのです。これを防ごうとするから、そのガスに火が引火し爆発を起こしてしまいます。不満は不満として処理しているうちが正常です。無視したり、嘲笑ったり、弾圧したり、そんなことをすれば必ずえらい目を見ることになる。多様性を認める気持ちがあれば、こんな意見もあるんだなぁと思えるようになるので、作ろうと思えば無限にある色のように、様々な色があるのだと思うようにし、黙って見とけという気持ちに向きあわなければなりません。そんなことを、特に大相撲の記事を書いてる時の自分に言い聞かせたいです。あと最後に、金親、なにやってんだよお前、いい加減にしろとガス抜きさせてください。ツイート
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